大好物に釣られた子供

 食べられる・食べられないというこだわりの下に
 好きか嫌いかというこだわりがあり、
 更に
 大好物と好物の区分が出来ている。
 
 子供時代のそれは鰻に寿司に親子丼。
 何が食べたい?と聞かれては「お寿司」。
 どこへ行きたい?と問われては「鰻」。
 今日の夕飯は?というのには「親子丼」。
 欲しいものは、「本」。

 親にとってはある意味とてもわかりやすい子供ではあった。

 大好物3本柱の中でも特に好きだったのが鰻。
 「毎日だって良い」と小さな体で大人同様パクパクと食べていた。
 
 実は
 食いしん坊の今とは違って、子供の頃は好き嫌いが多くてかなりの小食。
 「美味しい」ものは好きでも「食べる」ことは嫌いだったと言っても良いかもしれない。

 幼稚園時代のお弁当は1辺5cmほどの正方形のフルーツ入れ。
 そのなかにちまちまと入っていたおかずとご飯を、
 園庭で遊ぶ友人たちを横目に箸やフォークでつっついては溜息をついていたことを今でも覚えている。
 キラキラした太陽の光が友人たちが座っていた空の椅子や机を照らす。
 やんちゃな私としても「残している間は遊べない」から一生懸命食べたいとは思うのだけど、
 気が進まない。

 お弁当だから温かく無い上に、
 中途半端に食べてあまり食欲をそそらないようになっているせいもある。
 こっそりと蓋をして外に遊びに行きたいと思っても・・・見張られていてそれが出来ない。
 先生はとても優しかったけれど、この時ばかりは目を合わせていられない。
 たまに友人が「まだ食べてないの?はやく遊ぼうよ」と誘いには来るのだけれど、うつむくばかり。

 先生が根負けして「遊んでらっしゃい」というか、休み時間が終わるか。
 幼稚園の昼食の記憶と言ったらこんなことばかり。

 そんな私がなぜ食いしん坊になったのか?
 というのは随分長い話になるのでまたいつか書くこととして、
 こんな私がある時期、ひどい夏ばてになった。
 小学2年生の頃だったと思う。

 水や麦茶、果物は食べるものの、普通の食事をほとんど食べることをしない。
 母の食事は娘からしても美味しい方だと思うのだけれど、
 せいぜいお粥やうどんを幾らかすするばかりでげんなりしている。
 食べないとなると妙に意思が固くて、
 口元まで持っていったご飯をじっと見つめる扱いづらい子供だった。

 さすがに親もそんな状態が続いて心配だったのだろう。
 夏休みをいいことに荒療治に出た。
 
 「鰻」を食べに行ったのだ。
 それも1回や2回ではない。
 鰻ならば食べるからとほぼ1日置きに。
 
 大好物だから、夏ばてであろうと食べたがる。
 大好物だから、少しでも多く食べたがる。
 随分財布も傷んだことだろうと思うけれど、母は私を知っていた。
 
 1週間か2週間かそれが続いた頃には夏ばては全快し、
 私の鰻好きも普通の鰻好きのレベルまで落ち着いていた。
 
 元々がかなりの鰻好きだったので食べ飽きるということは無かったけれど、
 毎日食べられなくても、
 胸を灼くようなジリジリとした欲求に苦しめられることは無い。 

 大人になって、大好物は鴨だ、鮎だと3つどころでなく増えているけれど、
 誰かに「何が好きですか?」と聞かれた時にふと、母がしてくれたことを思い出すことがある。
 すると
 食べ物を受け付けなかった体を鰻が染み渡っていくあの嬉しさと一緒に、
 久々にしっかりと食べる私をとてもほっとして見つめていた母の表情が浮かんでくる。
 
 

 ちなみに、今夜は父に内緒で母と二人で素晴らしく美味しい鰻を楽しんできたのです。
 悪しからず。。。。