子供たちの喧嘩

今も正しかったのか良くわからない。



 先日、電車の中で騒いでいる子供たちがいた。
 雨が降った日、
 小学3年生くらいの4人組が黄色い傘を
 扉の近くの吊り輪に掛けてサンドバックに見立てて順番で軽く叩いていた。
 傘は小さな彼らの拳に撃たれてゆらゆらと水滴を飛ばし、
 近くに座っていた人が軽く身を引いた。
 
 4人の内1人はそれに気づいているのだけれど・・・
 グループの中では発言力がないようでなにも言えずにそっと頭を下げていたが
 彼は一番最初に電車を降りて行った。
 
 しばらくきゃいきゃいとはしゃいでいた彼らだが、
 だんだんとはしゃぎ方がおかしくなってくる。
 一番小柄な少年の髪を一番大きな少年が冗談交じりに引っ張り始める。
 小柄な少年の言った何かが気に食わなかったよう。
 小柄な少年が「やめろよ」と言いながら「引っ張られても平気だ」と、
 やせ我慢をしながら大きな少年を笑いながら睨む。
 大柄な少年は抗議を意に介さずそのまま髪を引き続ける。
 しばらくすると周りの目に気づいたようで、
 口では「ごめん」と言いながら、他の乗客に見えないように小柄な少年の髪を引っ張る。
 これでは小柄な少年も腹の虫が納まるわけが無い。



 もう一人の少年は困ったように二人を見つめる。
 
 大柄な少年と小柄な少年はお互いの腕をつねりながら、
 もう一人の少年は彼らがお互いを叩いたり声を出す毎に
 周りの大人たちがビクリとそちらを見つめるのを見て恥ずかしそうにうつむき
 たまに「やめろよ」と、二人に声を掛ける。
 
 扉の辺りが混んで来たからと3人は場所を移し、座席に座るものの、
 大柄な子は隙を見つけると小柄な子の髪を引く。
 小柄な子が怒って相手の手を離そうと相手を殴ると、
 大柄な子は殴られたことに一層腹を立てて相手の髪を場所を変え、何度も引っ張る。
 二人が喧嘩をするごとに二人の体は右に左に揺れ動き、
 左右の大人は彼らを見ながらどうしてよいかわからず身を縮める。



 基本的に私は子供の喧嘩は大人が首を突っ込むものではないと思っている。
 子供たちの間に大人が首を突っ込んでは仲直りも上手くいかず関係がこじれることも多いと思う。
 
 第一、子供は力の加減というものがなく、喧嘩の仲裁はひどく怖いものでもある。



 彼らがお互いを殴りあうたび、
 私はびくびくと怯えた。



 と、その時、小柄な少年と穏やかな少年が二人、
 隣の扉側の座席に移動した。
 大柄な少年はその後ろに自然に付いて行き、
 喧嘩もしていたけれど何となく仲直りかと思ったその時。



 大柄な少年は小柄な少年の上に座った。
 膝の上なんてものではなく、小柄な少年に全身を預け体重を押し付けるようにして座った。
 小柄な少年は「ふざけんなよ」「くるしいだろ」「どけよ」と叫びながら
 目の前にある大柄な少年の髪を引っ張った。
 
 車両中の目が彼らの所へ注がれる。
 大柄な少年は「ふざけるな」「痛いだろ」「髪を引っ張るな」と叫ぶ。
 小柄な少年は「お前が俺の上からどくのが先だろ」「早くどけよ」と叫び、
 空いた手で大柄な少年の背中をどんどんと叩く。
 大柄な少年と小柄な少年は相手がやっている行為をやめるのが先だと叫びあう。
 小柄な子は興奮しすぎてもう泣いている。



 我慢の限界だった。
 子供たちの喧嘩に入るのは嫌だったけれど、堪らなかった。
 おさまるかと思っていた喧嘩は、電車に乗ってすくなくとも10分は続きっぱなしだった。
 
 「いいかげんにしなさい、あなたさっきから彼の髪の毛引っ張ってばっかりでひどいじゃないの」
 気づいたら彼らのところに行って怒っていた。
 「誰だって乗られたら苦しいし、
 こんな風にあなたたちが喧嘩しているの見るのあんまり悲しいじゃないの」
 「兄弟だか(片方の子がかなり小柄だったので)、
 お友達だか知らないけれど、なんでこんなことばっかりするのよ」



 注意をするのは怖かった。
 バクバクと胸は打つし、声は裏返る。
 でも、そのまま見ているのも、もう辛すぎた。



 大柄な子は私を見るとむっとして私を睨むと「関係ないじゃん」と言って立ち、
 小柄な子を殴ろうとする。
 私は彼の細い腕を掴んで殴れないように止めた。
 「離してよ」と、彼は私を睨む。
 「離したいわよ」と、私も言いながら振り払おうとする彼の手首をしっかりと掴む。
 穏やかだった子は俺駅着いたからと席を立って電車の外へ出て行った。



 「だって・・・この人が悪いんだもん」大柄な子は私に腕を掴まれて諦めたのか
 ふてくされたように小柄な子を指差していった。
 「この人が・・この人が・・・」
 「そんなこと言って、あなたさっきから髪引っ張ったり手を出してばっかりじゃない。
 なんでそんなことするの?大体喧嘩するならせめて相手を名前で呼びなさい」
 私の口から出る声は、いつもよりも高く震えて聞こえた。
 
 「だって○○(小柄な少年の名前)が悪いんだもん」
 大柄な少年はそう言いなおし、足元で小柄な少年の足を踏んづけようとする。
 小柄な少年もそれに応戦しようとする。



 大柄な少年の瞳に涙が浮かんだ。
 小柄な少年も既に泣いている。



 なんとかかんとかお互いの靴を踏むのを終えさせると、
 大柄な少年は小柄な少年の脇の席に座った。
 
 小柄な少年は「なんで俺が悪いんだよ」と大柄な少年を睨む。
 「だって・・」と言いながら大柄な少年は小柄な少年の髪を掴んで
 「お前からやってきたんじゃないか」と真っ赤な顔で言う。
 小柄な少年の髪を掴んだ手を「やめなさい」と外していると、小柄な少年が大柄な少年を殴る。
 「あなたもやめなさい」と二人の間に手を渡す。
 「ハンカチいる?ティッシュいる?」と
 大柄な少年に聞くと「持ってるから」と首を横に振りかばんを探す。



 子供たちの喧嘩に首を突っ込んでいる後ろめたさ。
 泣かせてしまっている罪悪感で胸が痛む。



 「お前が学校の給食の時にばい菌っていったから」と大柄な少年がしゃくりあげながら言うと、
 「言ってないよ」と小柄な少年が言い、「急に殴ってきたんじゃんか」と続ける。
 
 殴り合いが減り、話し合いに近くなってきたからもう安心かと見ていると
 突然、
 「あなたたち、まだ喧嘩するなら電車を出なさい!」と女の人の声がした。
 「あなたたちね、公共の場はね、電車の中は喧嘩をしちゃいけないの!
 まだ喧嘩するって言うなら車掌さん呼んでくるわよ!
 電車の中の大人がさっきからみんなあなた達を心配して見ているのがわからないの?
 言ってくれたお姉さんに感謝して、言ってくれる大人がいることに感謝して、
 さっさと仲直りしなさい」
 
 「ごめんなさいは?」脇を見るとキャリアウーマン風の女性が腕を組んでいた。
 そして、「さっきから見てたけれど、よく言ったわね。
 でもね、こういう子達にはもっとびしっと言わなきゃだめなのよ。私子供いるんだから任せて。」
 と、不敵に笑うと
 「ごめんなさいは?」と、座る少年たちに訊ねる。
 少年達は突然の伏兵に驚きながらも、
 「お前のせいだ」と軽くお互いを叩き合いまた殴りあいを始める。



 彼女はそれを見て「電車の中で騒ぐなんてことはするもんじゃないのよ、いい加減にしなさい」
 としかり、二人がまたぼろぼろと泣きながらうつむいたのを見ると、
 「じゃあ、私次で降りるから。頑張ったわね」と、降りていった。



 電車はもはやラッシュと言える混みようだったが、
 二人の泣いている少年の前に人は来ず、私だけが彼らをポツンと見下ろしていた。



 そして、終点が近づくと
 早くに泣き止んでいた小柄な少年が荷物を持ってさっと扉の方へ駆け出して行き、
 次の駅で大柄な少年も何も言わずに人波の中、前方へと去っていった。



 ラッシュの中、子供たちが泣いていた座席には
 子供たちが泣いていた雰囲気が残り、私の前の2座席にすわる人は現れず、
 私は緊張の解けた虚脱と、子供たちをいじめたような罪悪感とがしこりのように残った。



 出来ればお互いが何故相手に攻撃を仕掛けていたのか
 話し合いで解決できないかと思ったのだけど。。
 
 せめて彼らがあれから仲直りをしていてくれたなら嬉しい。



 ぐったりとして電車を降りた時、
 結局彼らは彼女が言う様に言った「ごめんなさい」は言わなかったなと思う。



 子供達の喧嘩に割り込んだのはこちらだから、
 私宛の「ごめんなさい」はいらないけれど
 お互いへの謝る言葉はあってほしいとそう思う。
 
 そして、私が間に入ってしまったことで仲直りが拗れてしまってないことを祈る。
 できるだけ争いごとは見たくない。
 公共の場で騒いだことを叱ったことへの後悔はしていないけれど、
 あれ以上、いじめじみた喧嘩が続かなかったことは安堵しているけれど、
 彼らの自然な仲直りを阻害してしまったのではないかと、それが心配だし、
 きちんと叱れたのか、あれで良かったのか・・・



 自分が彼らのこれからの成長のために正しいことが出来たのかがわからない。