虹の根元

 夕方、銀座の空を見上げると
 紗の様に薄い赤の掛かった青空に朱金に光る雲が浮いていた。
 空はどこまでも高く、雲もビルのぐんと上にあり、
 思わず息を止めてしまうほど綺麗過ぎて、どこか現実離れして見えた。

 「不思議に綺麗ね」と思わず母に言うと、
 母は「本当、ラスベガスの空みたい」と、言った。
 ラベンダー色の高い空に描いたような夕焼け雲が浮いているのを、
 ラスベガスのようだと母は言うのだ。

 現実の光景なのに、少し現実離れしている空。
 遠くにあるだろう現実離れした空の下、
 想像も付かないような金額が行き来するラスベガスを思った。
 何もない、荒涼とした砂漠を抜けると突然現れるネオンサインの街。
 ラスベガス。
 数え切れないほどの成功者と没落者を生み出す不思議の国。
 
 ラスベガスにはまだ行ったことが無い。

 ずぅっと昔、ラスベガスのニュースを見た。
 何処かのホテルの地下で、遊びに来ていた老夫婦が一回だけと遊んで長者になったニュースだ。
 
 彼らが遊んだのは
 20ほどの数字や記号の組み合わせの連なる巨大なスロットマシン。
 一回の値段は20ドル。
 横幅は1m以上はゆうにあった。
 それは艶々とした飴色の重厚感が歴史を醸し出して、
 高級家具のような不思議な迫力。
 
 「一回やってみたいなぁ」
 TVニュースでみた小学生の私もときめかせてしまう魅力があった。

 ギャンブル云々というよりも、
 巨大な柄をグイっと下ろすのが面白そうで、わくわくとした。

 もちろん、こうした賭け事に関するものにときめくのは
 裏に一攫千金という俗な思いが少しあるのは否定できない。
 
 「昨日の私と今日の私は違う人」と言えるほど環境はがらりと変わるのではないかしら。
 これはやっぱり
 「上手い話はやっぱりたまには・・」と甘い期待をこっそり抱いているからに他ならない。

 自分の記憶を遡って考えてみると
 この「一攫千金」の誘惑は強い。

 私は「宝くじ」という言葉を若干3歳で使っていた。
 今も、その時の事は覚えている。


 「私たちね〜、大きくなったら結婚するの!」と、私は彼と手をつないで母に言った。
 
 空は気持ちよく晴れて、
 幼稚園の庭に置かれた真っ青な廃バスの前の杏の木が真っ白な花を咲かせていた。

 母と、おそらく彼のお母様は顔を見合わせてふふっと笑い、
 「あらぁ、結婚するの」と言った。
 
 私達は、そうなの!と、胸を張り、大きな将来設計を語った。
 
 若干3歳。
 私の初恋は彼で、彼の初恋も私だったかもしれない。
 
 「あのね、あのね、私達ね、ピアニストかお医者さんになってね、
 人の為に役に立つ人になってね、世界中を回るの!」
 「それでね、宝くじで100万円当てて大きなお屋敷を建てて住むんだ!」

 私達はギュッと手をつないだまま、夢を語った。
 職業がお金に繋がることも、100万円ではお屋敷が建てられないと言うことも知らず・・・。

 「凄いでしょう!」と彼が言った。
 「素敵でしょ!」と、私が言った。

 母達は大笑いしながら「楽しみだわ」、「期待してるわ」と言った。
 私達は「大人ってどうしてわからないのかな」と、顔を見合わせると
 本当にそうなることを信じて遊び場に駆けていった。
 
 互いに吹く風は本当に爽やかで気持ちよく、
 オレンジ色のブランコは漕ぐたびに空の中へと分け入らせ、
 私達は話しながら更に細かい人生設計を詰めていった。

 けれど・・・
 残念ながら私は医者でもピアニストでもない。
 私の横にその彼もいない。

 別々の小学校へ入り、何ヶ月かぶりに彼の家へ行ったときのことだ。

 彼は入学した小学校でのことをいそいそと話し、
 卒園後、彼に会えなくなくてうずうずしていた私に、
 「今ね、気になっている子がいてね、どうしたらいいと思う?」
 「すっごく可愛いんだよ!」と満面の笑顔で恋愛相談を持ちかけてきたのだ。

 幼稚園での3年間の恋は、
 たった数ヶ月のうちに
 彼の中では既に終わったものとなり、私はただの女友達になっていたのだ。
 
 私は二度と彼の家へ遊びに行くことはなかった。

 ヨーロッパの童話の中に、
 「虹の根元には宝が埋まっている」という話がある。
 自然界に発生する虹は、大抵いつも遠くにあって、
 追いかけても追いかけてもふもとに辿り着くことは出来ない。
 
 一攫千金でもって生活を成り立たせようなんて、
 小さいのにそんな欲をかいたようなことを考えていた二人だったから、
 小さな恋は終わってしまったのかもしれない。

 卒園後、もっと連絡を取れていたら・・・

 小さな恋は私の中に、
 「一攫千金」の小さな憧れと「人の心は変わることがある」という苦い思い出を残した。
 今も思い返せばちょっと切ない。