立場の誘惑


 段々と、外を歩くのに上着が邪魔になってきた。
 気がつけば、電車で凍える季節がやってきた。
 クールビズと言うけれど、電車内氷点下(?)傾向は今年もまだ続いている。
 ぶるぶると震えながら、電車の天井に扇風機がついていた時代に戻りたくなる。
 「暑ければ窓を開けばいいのに」と、腕をさする。
 窓が開けると空気抵抗が出来て、ダイヤどおりにならないのだろうか?
 なかなか暖まらない腕は、鳥肌が立ちすぎて山葵がおろせてしまいそうだ。

 日経の夕刊の一面の題字の下に
 小さな「波音」というスペースがある。
 今日、そこに坂さんという方が記事を書いていた。

 官僚批判という題名で、
 1日から始まった駐車違反取り締まり制度の枠を考えた若手官僚の死についての記事だ。
 
 彼は、
 自らが道筋を立てた制度の施行される日を待たずに病に倒れ、
 先月の下旬に逝った。
 闘病中の朦朧とした中でも、
 今回の改正に悩み、無意識にパソコンを打とうとしていたそうだ。
 
 そして坂さんは、
 『官に多くの問題があるのは確かだが、その彼のように身を削って職務を遂げ、
 社会を支えているたくさんの人を忘れてはならない。
 ブームに乗るような官僚叩きや批判のための批判は巌に慎み、建設的な議論をしたい』
 と、結んでいる。

 ほんの小さなスペースだけれど、
 印象に残って思わずそれを切り抜いた。
 
 警察の官僚という友人はいないが、他の省庁にいる友人はいる。
 毎日、毎日、毎日、
 それこそ過労死するのじゃないかというほど必死に働いている姿を知っている。
 つい2〜3ヶ月前まで、23時とか、朝1時なんて時間から会議、
 なんていう冗談のようなタイムスケジュールが普通に組まれていて、
 彼らは夜明けまで働いて、帰って、出勤していた。

 どれだけ大きな責務を
 それぞれの肩に背負えるだけ背負って、
 頑張ってより良い方向に進もうとしているのを聞いている。

 ただ、官僚主義という言葉だけではきっとその彼らの働きは分からない。
 聞いているだけでは分からないほどに、
 多くのことを頑張ってくれている人がいる。
 それは本当に確かで、とてもとてもありがたい。

 とはいえ、そうして真面目に頑張ってくれている人の脇に
 そうでない人がいるのも確か。

 警察が証拠品を紛失したり、質に入れたり、
 セコムの人が、セキュリティーを切って図書カードを25万円分も盗んだり・・・
 東京三菱の契約行員の多額使い込みなんてニュースがある。

 そうやって、一部の人間が大多数の人が支える信頼を裏切る。
 そんな時、業務上、手に入れられる権力がどれだけ大きく、
 いけない魅力をたたえているのかと考える。
 どれだけ誘惑にさらされているかと。

 昔、私の所属する団体で横領があった。
 私がその団体を抜けてからの話だ。

 みんなから集められたお金を一人が預かって。
 そのお金をその人が色々出納していた。
 「〜が欲しい」「〜が必要」とみんなが言うたび
 その人は「お金がない」「節約しよう」と呼びかけた。

 きちんと管理したノートを周りに見せず、
 のらりくらりと通帳を見せるのを怠った。
 今思えば、のんびりとした団体だったのだろう。

 1年近く経ったころ、
 団体のトップが痺れを切らしてノートを取り上げた。
 中には、まるで整理がされていない少しのレシートと更新されていない数字。
 通帳の残高は私達が残していったものの、半分以下になっていた。

 私が所属していたのは、決して大きな団体ではない。
 だから、残せた金額もそう大きなものではない。
 
 その人が自分の通帳に移していた金額も、
 本人は責任を取りきれなくても、
 親が責任の取れるというくらいの金額だった。

 沢山のいざこざと、言い争いとが、
 責任を取ろうとしないその人とそれをかばう親、
 真面目に頑張ってきた後輩達の間で何度も何度も繰り返された。
 自分の子供の口座にお金が移されていながら、

 「自分の子供はそんなことをするはずがない」
 「あなたたちが罪を擦り付けるのだ」という親。
 「そんなに使ってない」と言ってきちんとした釈明もせず唇を尖らす子供。
 お金がないと言われて、
 欲しいものも手に入れられず可能性を潰された後輩達。

 悔しかった。

 横領によって奪われたのはお金だけではなくて
 後輩達の1年間の可能性だった。
 
 発覚から、幾らかのお金は返ってきたけれど、
 それがあればより鮮やかに花開いたかもしれない後輩達の可能性は返ってこない。
 
 正直なところ
「自分の道徳心さえ黙らせれば」という誘惑に駆られる気持ちは、分からなくはない。
 付き合っている人がお金遣いの荒い人であれば、
 合わせようと焦るのかもしれない。
 欲しいものがあれば揺らめくこともあるかもしれない。
 
 けれど、それを実行に移すかどうかはまた別の話だ。
 立場上の責任にどのように対処するのか。
 立場上得られる情報や利益の誘惑にどう耐えるのか。
 その誘惑によろめく人の弱さと、
 それに対抗することの難しさとは
 その立場を得た人とその周りの人間がきちんと知っていなければいけないことなのだろうと思う。
 お金は一種の可能性の塊で、
 社会は信頼で成り立っているものだけれど、
 それを支えているのは弱さと強さがある人なのだから。

 それらを知ったその上で、
 上に立つ人間はそれからを考えていかなくてはならないのだと思う。

 これからしばらく、
 他の重要なニュースを覆い隠すかのように村上ファンドのインサイダー疑惑報道が、
 先日のライブドア姉歯さんの事件報道のように続くかもしれない。

 インサイダーという犯罪が 
 そこで実際に行われたかどうかは別にして、
 インサイダーというもの自体が、
 立場で得られた権力(情報)の誘惑に負けるということなのだろう。
 その情報が得られる立場で、
 行動さえ起こせば何十億という利益が上がることが分かっていたら・・・。
 それは、どれだけ大きな誘惑であるだろう。
 どれだけ甘く感じられることだろう。

 情報と言う見えないものを持つことは、
 全ての迷路が、全ての暗号が解かれた宝の地図を持っているようなものだ。
 黙って行動するだけで、多くのものが転がり込んでくる。
 
  インサイダーは、実証するのが難しい。
 「疑惑」というだけで終わって、村上さんの名誉損害で終わるかもしれない。
 本当に、彼は何もしていなかった・・・・かもしれない。
 それはまったく分からない。
 
 けれど様々な職に就き、様々に働かれている多くの方が
 誠実に働いていく上で、大きな危険な誘惑が脇に控えている。
 そんなことを改めて思わさせられた。