大人と子供と

雨に濡れて黒々と照るアスファルト
 ぬいぐるみのような犬が
 軽やかな足取りで
 濡れそぼった栗色の巻き毛から
 ぼたぼたと水滴を落としていく。
 乾いたところなんて見当たらない道の上。
 ふわふわとした足が水溜りに入る、飛ぶ、水玉を飛ばす、お腹から水を垂らす・・・。
 いかにも室内で大人しくしていそうな犬が、
 氷雨の中で大はしゃぎ。

 黄色いレインコートの飼い主ばかりが、
 小さな歩幅で寒そうに肩をすぼめて苦笑している。
 どの辺りから来たのかな?
 黄色のレインコートの裾は小さな足跡で泥だらけ。
 
 息を吐けば雨の中、
 白く染まった空気がそこに少し留まる。
 止むことのない雨が
 じわりじわりと足元から体温を奪っていく。
 この寒さの中、楽しそうにお散歩する彼(彼女?)と冷え性の私。

 ぞくぞくと寒さを感じる私の体と、体温はどの位違うのかしら。
 とぼんやり考えた。
 水を勢いよく飛ばしている姿は多分まだ1歳、2歳。
 ぐっしょりと濡れた毛皮姿も
 ホカホカとした体温でうっすら白く靄が掛かっているようにも見える。
 勢いよく降る雨の小さな水煙だったのかもしれないけれど・・・。

 ふと、友人の言葉が頭をよぎった。
 「子供ってなんであんなに元気なんだろ」
 ついていけないと友人は笑った。

 全身で笑って、泣いて、走って、転んで、忘れて、また笑う。
 何かに夢中になったかと思ったら、
 もう飽きて他の方に目がいったりしている。
 「あれって一体何なんだろうね」 
 そうしてぼそっと
 「もう無理だなぁ」と呟いた。
 
 子供が元気で、大人になると落ち着いていくのは
 元気に楽しく色んなものに首突っ込んで、
 これいいかもと見つけたものを
 大人になって深めていくためじゃないかと私は思う。
 
 大人が子供になることはないし
 子供が大人になることはない。
 
 子供の中に大人があるのは、大人を見て育っているから当たり前だし
 大人の中に子供がいるのは、子供だったことがあるから当たり前だと
 そう思う。
 
 子供が忘れたり、飽きたりするのが多いのは
 沢山のものを見て自分のものを見つける時期だからなのじゃないのかな。
 
 年を重ねるたびに
 落ち着いてくるのは、自分の中にエネルギーを向けて深めていくから
 外向けのエネルギーは余剰になっていくからじゃないのかな。
 
 きっといつまでも子供のように
 動いて、笑って、泣いて、叫んで、忘れてばかりを繰り返していたら
 何にも深まることが無いのじゃないかな。
 ただエネルギーの塊だってだけで、
 「その人」というものが出来かねるんじゃないのかな。

 子供の頃の万能感は懐かしくはあるのだけれど、
 本当に必要なところは自分の中にきっとあるはず。
 
 明日は雨が止むかしら。
 雨が降るなら、今日より温い雨が降るかな?

 今はただ、冷たい雨より温い雨。