どう、夜を過ごしているのか・・・

 しとしとと降る雨は夕方には上がり、
 「肌寒いけれど、過ごしやすくて良いわね」と母が言う。
 「野菜の値段はきっと上がるけどね」と私。
 7月を半ば以上過ぎて、日本はまだ梅雨の中にいる。
 気象庁の100年予測によれば「梅雨のあけるのが8月になる未来予測」があるのだそう。
 
 小さい頃、梅雨といえば6月。
 かたつむりと紫陽花がセットになった図柄が
 幼稚園のカレンダーに描かれていたのを覚えている。
 
 異常気象は日々、
 予測されてきた最悪のシナリオへ向けての道を歩んでいるようにさえ思える。
 昨日の新聞で生命の宝庫とも言われてきた中国唯一の内海「渤海」で
 工場排水の汚染により汚染調査基準15の全てで基準値を上回る汚染が検出され、
 生命の宝庫であった渤海は現在動くもののない死の海になっているという記事があった。
 中国の汚染についての話は前々から聞いていた。
 その15の基準の細かいところはわからないのでなんとも言えないが、酷い話だと思う。

 けれど
 もしかしたら他国の情報だからこう取り上げられているだけで、
 農薬大国・日本でも、私達の目に触れない各所で同じような状況に陥っている場所が
 そこここにあるのかもしれない。
 
 気象庁が予想した環境の変化と、着々と進む汚染の相互作用。
 素人目にも、怖ろしいことになるのではないかと
 時を重ねるのが怖くなる。

 新しく生まれる人の罪でもないのに
 安心して息をして、生活をして、楽しく食べれなくなったら・・・
 そうなることができると希望が持てなくなったなら・・・
 何のために日々はあるのか。

 夕方、TVをつけると
 雨で避難生活を余儀なくされている方々がいた。
 短い間に身支度を終え、慌てて避難されてきた方に
 市が用意出来る食事も人数分を提供できるほど潤沢ではない。
 避難した場所も、裏山が崩れる可能性があるからとまた避難。
 
 雨の続く中、服の乾くのも遅く、
 濡れて重くなった服は体温を奪い、行動に制約を加えるだろう。
 避難してきた身では洗濯も、着替えもままならない筈だ。
 小さい子、お年を召した方には大変な体力の消耗になる。
 
 避難してきた人の中には、
 「本当に家が流されてなくなってしまった子もいるんです」
 「頑張ってとしか、言えません」と、50代位の小学校の先生が沈痛な表情で話していた。
 
 土砂崩れでなくなってしまった方の捜索に取材にきた人々に
 亡くなった方の父親が土に汚れた白い手ぬぐいで
 顔を拭い、口元を押さえながら
 開口一番に「捜索のご協力ありがとうございます」と言った。
 取材する人は顔を見たのか、確認したのかとマイクを寄せて、
 私はTVの前で思わず「もう聞かないで」と叫んだ。
 亡くなった方のお父様は娘さんを亡くされた直後だというのに
 取材に一言、一言、返事を返した。
 
 先ほど確認した限りでは
 この雨で19名もの方が亡くなった。
 今も、多くの方が避難している最中だ。
 東京にも、おそらくこの雨はやってくるのだろう。 

 今、大変な思いをされている方々に出来る最善は何なのか?

 今日の朝日新聞の夕刊の一面は
 イスラエルによる空爆の跡地写真が載っていた。
 薄いベージュやピンクに塗られた集合団地らしき場所の跡地のようだ。
 奥に見えるビルから察するところ、6階〜10階建ての建物が軒を連ねていたはずだ。
 家々のベランダにあったはずの柵。
 干されていたような洗濯物。
 大小のコンクリート片や、金属でできた何かだったもの。
 建物の道に面した部分はざっくりと削り取られ、
 建造物の基礎が覗いている。

 横幅10m近くある道は、
 40cm以上の高さまで満遍なく何かであったものの残骸で埋め尽くされ、
 路面の見えるところが無い。

 イスラエルの今回の空爆で亡くなった方は300名以上。
 ヒズボラの攻撃によって亡くなったイスラエルの方も30名。
 少なく見ても、330通りの明日がなくなった。
 
 おそらく、それより多くの方が家を失くした。

 3日前、デパートの中で小さな兄妹を見た。
 小さな乳母車で眠る妹を、身長50cm程の小さなお兄ちゃんが
 嬉しそうにじぃっと眺めていた。
 そしてやおら左手で乳母車の傘を掴むと、
 身を乗り出して妹の額に自分の額を嬉しそうに擦り付けた。
 大事な大事な妹が、可愛くて仕方ないんだなって
 こっちまで嬉しくなる顔で笑いながら、彼女の額にキスをした。
 脇を通ると甘いミルクの匂いがした。

 誰だって、そんな風に誰かを無条件に大切に出来る時代はきっとあったに違いないのに
 どうしてお互いの明日と家とを危うくしてしまうようになってしまうのか。
 北朝鮮の脅威が声高に叫ばれている昨今だけれども
 日本の、東京という安全な場所にいる私には、
 きっと分かれない事情は多々あるのだと思うけれども・・・。

 亡くなった方々は、どんなことを好きで、どんなことを考えていたのだろう・・・
 家がなくなってしまった人達は、どうやって夜を過ごしているのだろうか。