恐るべき子供達

一日中降り続いていた雨が止んだ。
 換気のために窓を開けると、思わず何故か「山葵!」と感じた。
 山葵の匂いがあるわけじゃない。
 一日中空気が洗われていたせいか、
 つんとくるほど冷たくて清しく感じたからかもしれない。
 今日の夜気は、
 つんとくるけれど、清らかな山葵の味にちょっと似ている。
 
 父がドライシェリーを、
 私が日本酒を飲みながらぼんやりと静かな夜が過ぎていく。
 兄が九州から買ってきた日本酒は、
 少しずつ飲んでいるのにお米の甘みがとろんと濃くて
 脳髄が螺旋状に溶ろけていくような気さえする。
 ちょっぴりちょっぴり飲んでいるから、ほろ酔いまでも行かないけれど
 どこかぼんやりと酔っている。
 そこをすぅっと、清水のような風が吹き抜けていく。
 なんともいえなくて溜息をついた。
 
 背筋がぞくりとして窓を閉めると、後ろでぷつりと音がした。
 テーブルの向こうで、父が背中を小さく丸めてみかんの皮を剥いていた。
 シェリーとみかんてどうなのだろうとぼんやり考えながら、日本酒をこくり。
 案外合う物なのかもしれない。
 私はまだ経験が無い。

 段々と広がるみかんの香りに包まれながら
 ふと、先日祖母から聞いた話を思い出していた。
 あの時、祖母もみかんを食べていた。

 近くの、
 少し賑やかな駅でのこと。
 祖母が大荷物が嫌でタクシーに乗ろうとした時のことだ。
 平日の午後のこと。
 タクシー乗り場に人はいなかった。

 ところが
 祖母が乗った瞬間、
 1人の少年が滑り込んできて
 「すいません○○まで・・・」と言った。

 祖母の前に横入りしたのではない。
 祖母の後ろについて入ってきてそんなことを言ったのだ。
 当然ながら、それは祖母の目的地ではない。

 祖母が大慌てで「あなた降りなさい」と言うと、
 彼はけろっと「乗っけてってよ」と笑い、
 祖母がなおも出て行くようにと言うと
 渋々ながら降りて行ったのだとか。
 
 「物凄く怖かったわ」と言う
 祖母が持つみかんは、軽く震えていた。
 
 実はこの数ヶ月、そんなことが何度かあったのだそうだ。
 「いつも違う少年のようだけど・・・いつも小学1〜2年生くらいでね・・・」
 祖母の知り合いの方も、何人かそんな少年に遭遇しているそうだ。
 断れず、高いタクシー代を払う羽目になった方もいたようだ。
 
 いつの間にか、タクシーの中に見知らぬ少年がいる。
 ホラー映画の中のことじゃない。
 まだ若い私達でも、正直それは気味が悪い。
 まして、祖母たちのように足も目も弱ってきている世代だったなら、
 どれほど恐ろしいことだろう。

 人のタクシーに勝手に乗り込んで、悪いと思わぬ少年達が御近所にはいるらしい。
 私には、そうした少年達がどうやって育ってきたのかわからない。
 それが、今時の子供達とは思わない。

 でも、祖母を、祖母の知り合いを震えさせた彼らの行為は
 今のうちに正さなければならない筈だ。
 タクシー乗り場に並ぶ若い人の座席には乗り込もうとしないらしい少年達。

 もしかしたら、一種の度胸試しかも知れないけれど・・・・
 6歳、7歳の子供たちなのだ。
 嫌いな言葉であるけれど
 思わずついつい思ってしまう。 
 「親の顔が見てみたい」

 何も物心ついてしばらくの彼らに品行方正を求めはしない。
 やんちゃな子供は大好きだ。
 でも、いくら子供であったとしても
 考えなくてはいけないことはある筈だ。

 グラスに残ったお酒をつぃっと干した。
 甘いお酒が少し苦く感じられてならなかった。