安房直子さんを知っていますか?

 小さなベランダの
 小さな梅鉢のこちらに
 小さなラベンダーの苗がある。
 母が先日買ってきたライラックの苗は、
 私の親指ほどしかない細い幹で
 不釣合いなほど大きな頭を重そうに風で揺らしている。
 夜目にも鮮やかな満開の白梅の花弁が揺れると、
 室内の明かりに照らされた
 小さなライラックの花も頭の動きに合わせてゆっくり揺れる。
 ライラックも今が盛り。
 細い枝の上のこんもりとした茂みの中に
 小さな紫がたくさん咲いていて、
 小さなプラネタリウムを覗いているような気がする。
 
 楚々とした華やかさを持つライラックの木はとても綺麗で、
 北海道で街路樹にされたことがあると小学生の頃に聞いたことを思い出す。
 根が浅く、強風の折に根元から抜けてしまったものも多かったとか・・・。
 本当かしら?
 ほっそりとした幹と大きな頭は、
 構造的にバランスが悪そうで根から抜けてしまってもおかしくはない。
 そのアンバランスな所がなんだか切なくて、守りたくなる。

 「ライラック通りの帽子屋」という物語が
 安房直子さんの本の中にある。
 
 ライラック通りに住む帽子屋が、
 いなくなった羊の国へ行く帽子作りを頼まれるという話。
 にじのかけらを食べた帽子屋は、満開のライラックの花の下
 せっせせっせと美しい、ライラックの帽子を作ります。
 いなくなった羊の国はとても素晴らしいところだけれど・・・・・

 簡単にかいつまめば、こんな話。
 でも、かいつまんでも伝わらない。
 安房さんの話の豊かさは、どうにも手にとって感じて欲しい。

 かくれんぼで息を潜めた時の胸の高鳴りや、
 プリズムで出来た小さな虹を見つめていた時。
 楽しい涙と切ない涙を鈴に変えて鳴らしたら、
 この方の書く物語になるかもしれない。
 
 子供の頃、何かに夢中になっている時間は
 とても長くてとても短い。
 彼女の物語にはそんな凝縮された宝石のような時間が確かに存在しているのです。

 世の中には、様々にいい本が溢れていて
 その人にとっていい本というのがどの本なのか読んでみなければわからない。
 何かの折にその本の一節が蘇り
 手元に無いと読めないのが
 嫌で嫌で仕方が無いような幸せな出会いは中々出来ない。
 
 けれど・・・
 この方の本はそんな幸せな出会いを多くの方に提供してくれるのじゃないかと・・・
 そう思われてなりません。
 安房さんが亡くなられたのが1993年。
 随分絶版になってしまっている本も多いようですが、ここ数年復刊されるものが増えてきました。
 もしもどこかでご覧になることがあったら
 「童話なんて・・・」と仰らず、是非ページをめくってみてください。
 この方の文に浸ってみてください。
 小さなお子様が身内にいらっしゃるようならば、
 どうぞ勧めてみてください。
 
 もしかしたら、とても幸せな出会いになる・・・・かもしれません。
 

 「きつねの窓」も「山椒っ子」も「空色のゆりいす」も「ハンカチの上の花畑」も「夢の果て」も
 「夕日の国」も・・・・・素晴らしい完成度の作品ばかりですから。