美しい=醜い?

母が知り合いからみかんを頂いた。
 その方のお家の庭でできたみかん。
 雨風にさらされてあちこちに傷があったけれど、
 香りが高くとても美味しい。

 昔、野生・・というか、誰かが植えたまま何年も放置されたみかんの実を食べたことがある。
 粒はしゃくしゃくと音が鳴るくらい水を含んでいるのに、瑞々しいとは大違い。
 甘みは少なく、水っぽく、遠くでそれっぽい香りがするだけ。
 放っておけば放っただけの味がする。
 自分の家で、こんなに甘く美味しいものを作るには随分大変なことじゃないかしら。
 
 凸凹とした表面の傷を人差し指でなぞった。
 みかんの表面に残る茶色の傷跡は、みかんが一生懸命頑張った跡だから
 なんだかとてもいじらしくて可愛い。

 決して綺麗じゃない。綺麗じゃないけど 
 醜いだなんて到底思えない。
 どころか、それまでのみかんの時間が垣間見えてとても素敵だと思う。
 
 日本の農産物は綺麗だと言われる。
 手間も心もたっぷりかけて綺麗な状態にするからだ。
 傷が付いたものは醜いと嫌がる人がいるからだ。

 醜いって、一体なんだろう?
 美しいって?
 

 醜いと美しい。
 そもそもその二つって違うものなのかしら。
 判断する器が違うだけで、同じものじゃないかしら。
 醜いものから目を背ける人がいる。
 醜い・気持ち悪いと言われるものも偏愛する人がいる。
 美しいものに感動し、何かを始める人がいる。
 
  見た人間に何かの行動を起こさせる。
 心の中に強い感情の流れをもたらす。
 
 目を背けるか、惹き付けられるか・・・・どちらにも強い力がある。

 美醜はその力をどう判断するかで生まれると思う。
 分かりたいか分かりたくないかは別にして、
 物を醜いと思うのはそれを美しいと判断する器が自分に足りないのじゃないかと思う。
 一般的に目を背けるものが多いものでも、研究しようと言う人は必ずいる。

 世の中は何やかや言って多数決だから、
 それを醜いと判断する人がひどく多ければ。。。
 それを美しいという人は変人やら変態と呼ばれるのじゃないかしら。
 美醜の違いって、もしかしたら多数決だけの問題なのかしら?

 その中に確かに、なにか訴える力を内包しているのはどちらも確かなことなんだけど・・・