イスラエルのトマト

 今日、ベランダのトマトの季節が終わった。
 枯れてちりちりとしていた葉の間に重そうに実っていたトマト。
 普段お店で買うものよりは小ぶりだが、みっちりと中は詰まっている。

 実は我が家のトマト、カゴメのジュース用トマト。
 夏の初めに頂いたのものだ。
 普通のトマトと出来上がりが違うかは聞くのを忘れてしまった。
 だからこの大きさがBESTかどうかは、わからない。

 鋏で実の上の辺りをパチンと切ると、
 青臭さと、爽やかで甘いフルーツのような香りが立ち上る。
 紅い実がぼてっと広げた手に落ちてくると、半分枯れ草状態だった茎が大きく身じろぎした。
 まるでやっとお役御免になったと、安堵の息を漏らしたように。

 ベランダ栽培のトマトは傷みが遅い。
 
 1つには、太陽の光を一杯浴びすぎて(収穫が遅かったので)皮が少々硬くなってしまっているから。
     要はトマトの日焼けでしょうか^^
 2つには、暑いところにあったものをそのまま常温に置いているから。
     スーパーなどで売っているものは鮮度を保つために冷やされていたりするので、
     どうしても温度差で傷みが早くなっちゃいます。
     八百屋さんで買ってた時はそこら辺にごろごろ並べてあって、傷みも遅かったはずなのにね。

 ベランダのトマトの傷みの遅さは、納得できる理由がある。
 
 けれど・・・

 我が家産トマトを眺めていたら、イスラエルのトマトの話を思い出した。
 
 先月、現在の野菜事情に詳しい農家の方と話す機会があって、
 最近の品種改良事情について聞いた。

 その方が言うには、
 日本とイスラエルが品種改良という分野ではトップをひた走っているのだそうだ。
 けれど、日本は面積に対しての農薬量が一番多く、イスラエルではそれほどでもない。
 日本とイスラエルの品種改良。
 実は分野が同じでもジャンルが違うのだとか。

 日本の農家は、江戸時代に数百種類もの地域差、用途別の大根があったという位で
 元々品種改良に長けている。
 日本のものは、基本は別の野菜と野菜を継いでみたり、日を当てなかったり、
 別のものの花粉を一花一花受粉させたりと・・・かなり農家の方の手間隙に寄り掛かったものだ。
 その身を粉にして新しい野菜を作ったり、作り続けているのはもはや伝統芸術といっても良いのかも
 しれない。
 日本の品種改良の基本は科学が発展しても農家が働き、野菜自身の力を利用するという所にある。

 一方、イスラエル

 イスラエルという国の財産は頭脳だ。
 歴史的な背景もあるのだろうけれど、頭脳でもって稼いでいく。
 世界中の政府や財閥などには、必ず誰かユダヤ系の方がいたりするといっても過言ではないくらいだ。
 (まあ日本政府にはいらっしゃらないかもしれないけれど)
 学者でもやっぱり多い。
 そんなお国柄だからか、イスラエルの農家の方が日本に視察や技術交換に来ると
 「日本人てここまでやるのか」と、一花一花手作業で受粉させたりしている農家の姿を見て
 驚くそうだ。
 
 イスラエルの品種改良の基本は遺伝子組み換え。
 「美しく、美味しく、傷みにくいものを世界中に・・・。」
 彼等の国では遺伝子組み換えに対する拒否反応はほとんど無いのだそうだ。
 虫が付くなら付かない品種を。
 傷みやすいなら傷まぬ品種を。

 私が話を伺った方は、トマト農家でもある。
 日本ではトマトを出荷の際は一つ一つの大きさの規格があり、
 それにあったものを丁寧に丁寧に手で箱詰めする。
 トマトは柔らかいものだから、箱は全て一段収納。
 とても面倒で人手の掛かる作業だ。
 
 一方イスラエルのトマトは・・・
 真っ赤に熟れて、かぶりつくと濃くて甘い汁が口に広がる高級品。
 世界中の高級スーパーに毎日空輸されるほどの人気ぶり。
 箱詰めはの手は程ほどに丁寧だけど・・・・

 トマトの上にトマトを乗っけて、ダンボールに箱詰めしても大丈夫。
 ジューシーなトマトなのに、別のトマトの上にのせてもつぶれない。
 売り場についてからも2週間ぐらいなら傷まず平気。
 と、日本のトマト業界の常識を超えたものらしい。
 
 私は遺伝子組み換えというものは、なんだか得体が知れなくてあまり好きではない。
 だからきっとアメリカやイギリスの市場でそうしたトマトを見ても買わない。

 でもそれは、伝統的な品種改良の術をもつ国の人間としての感覚なのかもしれない。
 美味しいものを大量に作り、高値で売れる。
 傷むことがあまり無いので、駄目になって損が出ることも少ないのだとしたら・・・
 農家にとっては理想の形なのかもしれない。

 私はやっぱり食べないけれど・・・。

 それにしても、
 そんなものさえ作ってしまえる人たちなのに、
 なんだってあんな争いばかりになってしまうんだろう。

 1人1人は気持ちの良い人たちの筈なのだけど。










 イスラエル:私はそこまで歴史がわかっているわけじゃないし、知らずに片方からだけ
の見方になっているのかもしれない。
だからわかる方には是非補足をしていただきたいのだけど・・・
       
ローマ時代、もしかしたらそれより前から迫害されてきた人たちの国。

       イスラエルの人たちの宗教ユダヤ教というのが非常に選民的であることも
もしかしたら迫害の理由だったのかもしれない。
       でも、迫害されていた歴史があるだけに、彼らは自分達の宗教を大切に守っ
ている。
       聖書はあるけれど、極力子供が小さいうちに覚えこませる。聖書を捨てて
逃げなくてはならない状況になっても、頭に入っていれば安心だからだ。
       ユダヤの方が頭が良いのはそれのせいでは?とも言われている。

       迫害され、いつ財産を没収されるかわからない上、
職業選択にも差別があった。
       ユダヤ人=ケチ=金貸し
       などのイメージがあるのは、いつでも逃げられるように財産は
かさばらないものを。
       財産を没収されることがあってもそれを逃れられるようにとのこともある。
       浪費はしなかったのではなく、できなかったのだ。
       逃げなくてはならないない時になくなっては意味が無い。
       かなり蔑視されたことも多かったユダヤの人々が逃げる時に頼れるのは
人情ではなくお金だったのだ。
       金貸しを職業に選ぶ人が多かったのは、金貸しが一段低いものだと
見られていて、差別されていた彼らがなれる幾つかの1つだったからだ。

       食事のメニューでさえ、逃げるため。
ベーグルというパンを開発したのはユダヤ人だ。
       発酵させないパン、ベーグルは逃げる時に棒に差し込めるよう
ドーナッツ型でおなかのもちもいい保存食だった。
       
       紀元前10世紀以来ずっと、国という形を持たない(持てない)人々
だった。
       頭脳を生かしてあちこちの上層部にもユダヤの人々は広がっていった。
       人々の結束は強く「いつか自分達の国を・・・」それが、
彼等の長い願いだった。
       国を持ったのは20世紀に入ってからだからとても気の長い話だ。

       ただし、その国を持つにあたって難しい事情がいろいろあるよう。
       例えば、アラブ諸国を自分のものにしたかった列強の国々がユダヤ
人々の協力が欲しくてアラブの人々の国の一部を上げる約束をしていた
とか。
       (現)パレスチナも渋々彼らが住むことを認めたら、
世界中からユダヤの人々が
       集まってきてパレスチナの土地で建国の名乗りを上げたとか。
       住民が増えたから国土を拡大しようとパレスチナに攻撃をしていっ
た・・・とか
       ユダヤの聖書ではユダヤ人のための「約束された土地」というのが
       パレスチナの領土であったり。
       イスラエルの首都としているエルサレムは、他の宗教の聖地でもあるのに出       入りを制限したり・・・。

       宗教と、実際の政治状況が絡むと一層色々でてきてよくわからない。
       ずっと自分の国の無かった人が、手に入れた土地を大切にしようという気持       ちはわからなくも無い。
       でもずっと迫害されてきたわけだから、意味もなく追われることの辛さや
       苦しさも知っているはずだ。
       宗教が絡むからそう単純には行かないだろうけれど、頭の良い人たちで
       あるだけにもっと平和的な解決策はないのだろうか。
       領土の拡大を求めることをやめられないの
       だろうかと気にかかる。


       上記のことに関して、私は知識も少ないので、
       補足などできる方お願いいたします。
       また、間違いなどありましたら是非御指摘お願いいたします。