星を見るのは好きですか?

気がつけば18時にはもう空が暮れてきている。
 少し前までは19時を過ぎても明るかったのに。
 たそがれという言葉に、
 
 「黄昏」という字を当てはめたのはどんな人だったのだろう。
 漢字で書いた黄昏は今の季節が一番しっくりくる。
 
 夏の残り香、秋の音。
 影はどんどん長くなる。
 毎日がそうだといえばそうなのだけど、この日この時は今しかない。

 しっかりと目に焼き付けておかなくちゃと周りを見回していたら・・・
 「〜候補をよろしくお願いいたします」
 「〜党は、郵政を・・・郵政に留まらず・・・」
 
 あ〜あ、黄昏台無し。
 けれど、あの方々も今が正念場だから仕方がない。
 一日中ああしているのでは、声も嗄れてしまうだろう。
 大変そうだと思いながらも、よほど話のうまい人でなければ聞くのはTVの討論ばかり。

 昨日、筑紫さんの司会で行われていた党首討論番組を観ていた。
 1人が論旨に対してきちんと明確な答えを出さなければ、
 党首同士が一時的にタッグを組んできちんとした対応を求めたりする。
 こちらもそれが上手くいくと思わずTVの前で「やったぁ!」と膝を叩いたりうなずいたり。

 余裕のある受け答えと意見。
 国会での党首質問でも議席の多い少ないに関わらず、全ての党が
 この位の余裕を持って質問ができればよいのにとつくづく思う。

 番組では視聴者からの質問もとても素敵にスパイスが効いていたし、
 それに○×で答えさせる手法が、
 曖昧でないようで実は曖昧という現況をなくしていて興味深かった。
 どちらとも言えないという選択肢を残していたのもとてもよい感じだった。
 
 この番組を見ていたら、筑紫さんてすごいのだなぁと改めて思ってしまった。
 どうなんだろう?と思うこともあるけれど
 現首相、党首達を前に「サボっているように思う」なんてはっきり言える司会者、まずいない。
 田中康夫さんがあんなに議論が巧いとも思わなかった。
 やっぱり言葉を扱っていたからなのかな。論旨がずれるとすぐ戻してくれるのがとても嬉しい。
 11日まであと10日。選挙結果はどうなることやら。

 20時を30分過ぎた。
 窓の向こうに隣家の明かりがのぞく。
 あちらはこれから夕飯のよう。
 窓から漏れる明かりは、蛍光灯より白熱灯の方が好みだと随分勝手なことを思う。

 空はもう暗い。
 今日は曇っていなかったから、外へ出ればきっと星が出ているはずだ。
 
 誰でも、故郷とか、学校とか、なにかを思い起こす時、
 「こんな感じ」というイメージが自分の中に出来上がっている。
 駅を降りればこうだとか、机の上には誰かが彫った落書きがあって、
 教壇の机には先生の資料があって、後ろにはクラスの標語が貼ってあったり・・・

 変わっている様を見ても、出来上がっているイメージは変わらない。
 同じように、毎晩夜空を見ていると夜空にもイメージがついているのを知ってるだろうか。
 
 帰りが遅くなった時、私はできるだけ星を見て帰る。
 できるだけ真上を見ていたいのだけど、人目やらなんやらあって最近はそうも行かない。
 仕方が無いので少し斜め上か横を見ている。

 あるとき、星を見ながら目をつむった。
 そして、あ!っと気がついた。
 「星がさっきの位置にない」
 何かをじっと見ていたとき、目の裏には残像が残る。
 だから、星はさっき見ていた位置にある筈。
 でも、私の目の裏に現れた星の位置はずれていた。
 そんなに長く見ていなかったこともあるのだろうけど、違ったのだ。
 ぱちぱちと目を瞬くうちに少し残っていた残像も消え、
 瞼の夜空は一層はっきりと見えてきた。 

 何度も試したところ、どうやら私の夜空はもう少し後の季節か・・・遅い時間のよう。
 電線に分断された細い道の上の空。
 気づけば上を見上げていたけれど、こんなに覚えていたなんて。
 遅い時刻だとするならば・・・そんなに夜遊びしてたのかしらと気にかかる。

 昔から
 星空の勢力図はどうも覚えられなくて、
 「綺麗だ、綺麗だ」とただ喜んでいただけの私だったのに。
 頭はいつの間にかお気に入りの星の位置を覚えこんでいた。
 
 最近は、実際の空とまだ見えない空を見比べながら
 「ああ、近づいてきた」
 と楽しみにしている。
 星達が、ぴたりと同じ場所に来るのはいつ頃だろう。
 
 星を見るのは好きですか?
 よく見に行く場所はありますか?
 まぶたの裏の星たちと、本当の星空は同じところに見えていますか?