雨の日、風の日、嵐の日

天気予報いわく、「今夜は雷雨」!
 わあお!
 実際に被害を受けるのはお断りだけど、
 ザアザア降りも大風も私は好き!
 真っ黒に波打つような雲の隙間を縫って落ちてくる光も、
 地面まで揺れるんじゃないかって雷太鼓も。
 胸がばくばくとして背筋が凍えるほどなのに。
 綺麗で怖くて圧倒されて揺さぶられてる。
 髪はずぶ濡れ、一歩踏み出すたびに靴は噴水。
 服を絞ってもすぐ一緒。

 雨の中にいると
 お洒落とか、体裁とか、大人になるにつれて知ってきたものが
 ゴシゴシゴシっと洗い流されていくみたい。
 そんな時はなんでそんなことが出来るのかって
 不思議でとても惹かれてしまう。
 これって一種のつり橋効果?
 自然の猛威の一端に、うっかり恋をしてるのかしら。
 ど〜にも手が届かない力って、怖いだけじゃなくて
 ゾクゾク、ポッカーンとしてしまう。
 そんなとき、自然て近くて、とても遠いとつくづく思う。
 
 雨の日は好き、嵐の日はもっと好き
 でも「災害」は嫌。
 雨が降れば、風が吹けば、大なり小なり害はある。
 矛盾するけど、それで苦労はしたくない
 人の不幸を喜ぶ人にはなりたくない
 去年の暮れ、飲み会で知り合った人が家の裏の写真を見せてくれた。
 10月の台風で洪水が起こった彼の実家付近。
 道には一抱えもあるような岩がごろごろしていた。
 洪水のときに裏の山から落ちてきた・・とのこと。
 都会は、多くの人の目に触れるからか
 災害の跡は案外早くに隠される。
 けれど、人がいない、物がない
 市・町村にもお金がない。
 災害の傷跡は、なかなかなくなってくれるものじゃない。
  台風があった時から9ヶ月。
 このあいだ聞いたら、岩がまだ少し残っているらしい。
 都会にいるだけじゃわからない。
 
 新聞の小さな記事で見た。
 スマトラでまたM6.7の地震
 小さな地震、大きな地震、あちらではまだまだ続いているよう。
 こちらでは何ができるだろう。
  
 外は雨、たまに風鈴がチンと鳴る。
 まだまだ雷雨はきそうにない。 



 *つり橋効果・・・ある心理学者の実験。
          被験者(Aさん)に不安定なつり橋を渡ってもらい、
          橋のゴールで男性または女性(Bさん)を配置。
          Aさんは落ちるかどうかドキドキの胸を抱えて、Bさんとご対面。
          AさんはそのドキドキをBさんと会ったからと錯覚。
          橋が終わった安心+ドキドキ=恋?
          理由の分からないドキドキは
          Aさんの中に恋を芽生えさせることが案外多い!

 のほのほと公園を歩いていたら道路の拡張工事にぶつかった。
 拡張といってもろくでもない!
 今の地面の状態は、
 真ん中から池→土→道→土
 今のところ
 舗装されてる道はそれなりに細くって、緑の中を貫いていく形。
 もろくなった道路を敷き直す。それならいいけど
 それが・・・・
 どうも今回の工事は違う!
 真ん中から池→土→道→道・・・・
 道以外の大部分を占める土を、アスファルトで覆ってしまおう!という魂胆らしい
 やめてよお><
 ヒートアイランド効果が云々言ってるときに、それをするの?
 あっまい土のにおいをなくして、アスファルトだらけにして
 もう50年以上そこに植わっている木々達の根元がかろうじて残るだけの隙間を残して??
 いくら木が多くたって、緑の屋根が最高だって、それじゃあ森林気分がなくなって
 しまう!
 アスファルトのなかで屹立してる木を見たって、森気分にはなれやしない!
 せいぜい、「ここの歩行者天国、街路樹多いわね」だわ。
 
 この拡張工事のすすめかたをみていると
 整備費等の政治的、金銭的な事情があるにせよ、
 「公園」というものの捕らえ方が変わってきたような気がする!
 
 公園=公の園
 園という言葉は庭に通じるし、
 日本人にとっての庭は、塀に囲まれていても
 自然を写し取る又は象徴する何かを置く(石で出来てるけど枯山水とか・・・)
 ことが基本。
 
 庭の理想は極力自然から離れず、自然に近すぎず(ちゃんと手は入れる)がモットー。
 手の込んだ人工的な自然を理想とするイギリス庭園とはまた違う形かな。
 もっともどちらものんびりと歩いて見て回るのが基本。
 庭は生活の延長にあって、生活とはかかわりのない時間を住人に与えるものだと思う。
 で、今回の拡張工事
 考えられる公園の捉え方の変化
 
 ①日本人の庭の理想がそのままの場合・・・
   現代の日本人にとっての地面=アスファルトになった。
   考えてみれば小学校のグラウンドも、家の前の道も
   土の姿なんて見当たらない!
   誰かの家を覗けば庭はあるけど
   アパートやマンションだったらベランダのみ。
   ベランダだって、最近では土ではなく軽石や土もどきを入れていたりする。
   最近の小学校のグラウンドは、ゴム製?の緑のマットや
   絶対にそこにはなかった砂でできていたりする。
   そうしたら、当然土は身近なものじゃないんじゃないかな。
   下手したらとても気味が悪いものだと思う。
   土もどきからは虫はあんまりでてこないのだもの。
   本当のふかふかしたいい土は、
   丸々とした芋虫がベッドにしてることも多いし・・・・
   
    とすると今のお子様達には土がある=自然じゃない!
   じゃあ彼らにとっての自然て?・・・・アスファルト
   まあ転んでも破傷風菌もいないしね・・・
    あ〜安全・・・あーつまんない(小声)そんな環境
    
 ②公園が庭の延長ではなくなった場合
    日曜日、公園には隙間なくフリーマーケットの列が延びる。
    50Mごと、白いトイレが作られている。
    確かに楽しい場ではあるけれど。。。
    最近、公園は縁日になっている。
    庭でお金のやりとりをするかしら?
    もしうちで勝手にそんなことをされたら・・・うん、私は怒るな。
    たまに・・ならいいんだけど、公園にはみんなどんな思いでいくのかな。
 
    私は木々の幹、葉裏の色と葉面の色のコントラスト
    いつ落ちたかわからない葉っぱのあまいにおい
    池の細波、誰かの声、梢を揺らして近づいてくる風の気配
    そんなものを味わいに行く。
    やっぱり非日常のゆったりとした時間を感じに。
    縁日がやってるのって、やっぱり基本は道だと思うの。
    もちろん神社の境内でのお祭りとかはあるけど
    それ以外では道路。

    公園の道って、確かに道路だけど
    基本的に車も通らないし、お庭の道と同じだと思うのよね。
    フリーマーケットを見るのは楽しいけれど、
    道の脇に四六時中いられると、のんびり時間を忘れて
    木なんか見上げているのを・・・・
    さらに見上げられたりして・・・・・
    とってもとってもきまりが悪い。
    ぽかんと口なんて開いてられない!
    一応フリーマーケットは禁止ってなっているけど、
    取り締まる人もいないしね。
    そんな状態が、庭の延長だと思えない人って
    きっと多いと思うんだ。私。
    だからね、もし拡張工事をした人がそう思えなくて
    ・・・・・そしてお店を出す人に腹を立てていたら・・・
    「店を出す人は道の端にいる」
    「お店を出す人は道のど真ん中には店を出せない」
    「いっそ、全部道にしてしまえば、残る空間は全部道の真ん中」
    「つまり、人の通り道」=店は出せない!
     なんてことを考えたとか・・・
     庭でないなら、いっそって・・・





     市のお金を〜だけ使わなきゃいけない。とか、
     〜先生の関係の方が〜とか
     そんな理由じゃなければ
     まだこんな理由であるほうがいい
     ほんとのとこは・・・・・・・・・分からないけど
     とても知りたい
     拡張工事の真実
   
     正直、今の気持ちとしては
      工事が終わった途端に、アスファルトを引っぺがしに行きたい
      能力と、体力と、それ向けのゴミ捨て場がないけれど・・・