トンボの錯覚

いつもより早い時間に目が覚めた。
 気がつくと、カーテンから漏れる朝の陽射しが強くなっていた。
 カーテンの脇や裾がギラギラとするほど、日中の暑さが予想されて
 カーテンを開くのに躊躇する。

 思い切って開けてしまえば、そんな気持ちも吹き飛んでしまうのに。
 カーテンに辿り着くまでの気が重い。

 今日、近くの駅でトンボを見掛けた。
 遠目だったので胴体が黒っぽいことしかわからなかったけれど、
 スイと道路から飛び立っていく後姿が清々しかった。
 
 日差しがジリジリとアスファルトの表面を溶かしていたのか、
 道路は深い淵の面のように黒々と光っていた。
 トンボに暑さを感じる回路があるなら、
 「なんてこの水は熱いのだろう」
 「涼みたいのに、よりきつい」などと思うのではないかと思う。

 そして、いつだか、砂漠地帯ではアスファルトが暑過ぎて自然に溶け、
 道に下りた小鳥はアスファルトに掴まって動けなくなってしまうと聞いたことを思い出す。
 温暖化もまだ砂漠状態まではいっていない日本なのだが。
 体重の軽い虫位は捕まえるかもしれないと、ふと思った。
 
 トンボには池と見まごう「夏の車」という怖ろしい物があるのに加え、
 アスファルト地獄などが発生するようになったらどうなってしまうのか。
 そういえば、身近なトンボたちも随分減って絶滅が危惧されるものもあるという。
 
 トンボがトンボになる為には、ヤゴの住める場所が無くてはいけない。
 ヤゴの餌になる生き物がいなくてはならない。
 環境が減っているのに、生物は昔のままの数でいて欲しいというのは人間の偽善のようなもの
 なのかもしれない。

 今日、近所の軒先の草むらから虫達の夏の声を聞いた。
 何処かの家の真っ暗な窓に白い街灯が映りこんで大きな月の姿に思えた。
 人間が作った環境の中に住む人間でさえ、時として錯覚を起こし、驚く。
 唐突に変わっていく世界について、説明もされない彼らが錯覚を起こすのは当然のことだろう。
 多くの生物の錯覚を、なんとか共存できる方へ持って行けたら良いのだろうけど。
 
 なんだか逆のことばかりのような気がする。
 そんなことを考えながら、大きな半月の朧月をそっと見上げた。