ロマンの隙間

 小さいころ、家では黒電話が鳴っていた。
 にぎやかだけど涼しい音に
 こっそり鈴鳴き蝉って名前を付けた。

 あの頃は留守番電話がまだなくて
 みんな10回くらいは呼び出し音を確認してた。
 お留守番の時に
 ジリリーン、ジリリーン
 ああ、いい音!
 なんて涼んでいた。
 連絡を取りたがってた人からすれば、
 結構嫌な幼稚園児。
 
 母親がいないときにはこっそり知らない番号にかけた
 ジーコロロン、ジーコロ、ジー・・・
 そうしていつも
 数字と数字の間にときめいた
 1と2の間。5と6の間。
(まったく知らない舌足らずの自己紹介
 電話を取った人はきっととても困ったと思うけど)

 ダイヤル式の電話は、完璧に「ここ」って場所じゃなくても掛けられた。
 今のプッシュホンは完璧に「ここ」ってボタンじゃなくちゃ掛けられない。
 
 ただかけて「もしもし」だけならきっとあんなに楽しくなかった
 知ってる番号にかけただけでも・・・
 
 番号と番号がぴっちりと分けられていない曖昧さに
 なんだか宝探しをしている気分になった
 あいまいな番号をつらねたら どこか なにかに繋がるんじゃないかなって
 息を凝らして受話器に耳を寄せた
 
 その、無い筈のところに何かが起こるかもしれない
 密やかな期待
 それは もう
 一種の浪漫て呼んでもいいような気がする  
 
 私が物心がついたとき TVのチャンネルは当然リモコン。
 でも、電話と同じように
 TVについたダイヤルをまわす形の旧式TVだったら
 チャンネルとチャンネルの間にうつる
 ガチャガチャした影が重なり合って
 まったく別の
 どのチャンネルでもないそんな
 重なり合った隙間に
 浪漫を感じた人たちがいたのだと思う
 そのよくわからない所に
 何があるんだろうって
 じっと見つめた誰がが
 いたんじゃないかなって思う

 今の子供達は
 どんな隙間にロマンを感じているのかな?