麦藁のおじさんと少年


突き刺すような日差しを抜けて電車へ入ると、
 麦藁帽子をかぶったおじさんがいた。
 
 ちょうどおじさんの目の前の席が空いていて、
 すぽりとはまり込むように私は座った。

 おじさんの麦藁帽子はつばが広くて、
 緑色の紐がつばの上を一巻きぐるりと巻いて、
 首の下でキュっと結ばれていた。

 白いワイシャツ、ベージュのネクタイ、細かなチェック入ったグレーのズボン。
 まぁるい御顔で、好々爺然とした笑みを浮かべている。
 なんだか品が良くってあったかそうで、
 銀色の盥に入った西瓜や、ラムネの瓶が良く似合う、
 田舎の校長先生みたいな人だなと思う。

 運転席が見える窓に陣取っていた青いTシャツの男の子が、
 トコトコっと歩いてきておじさんの脇に座った。

 お孫さん、なんだろう。

 おじさんは何から話しかけるか少し戸惑ってから、
 「今日は良い天気だねぇ」「お母さん、洗濯してるかなあ」と、少年に言った。
 小学校1、2年生位に見える少年は難しそうな顔して腕組みし、
 「本当に良い天気だねぇ。うーん、お母さん洗濯してるかなあ・・何してるんだろう。
 僕、今わかんないなあ」と、真面目に答える。
 おじさんは「そうか、そうか」とニコニコしながら
 くしゃくしゃっと少年の頭を撫でた。

 どこかで、おじさんと遊んできた後なんだろうか。
 少年の髪は少し汗ばんでしっとりとしている。
 
 「おや」おじさんが声を上げた。
 「ここ、どうしたの、目の上」
 少年の右の眉毛の下辺りに、白くなった傷の痕が2cmほど残っている。
 「怪我したの?」と、おじさんが尋ねると、
 少年はグンと頭を縦に振って
 「大変だったんだよ〜」と頷き、
 少したどたどしさが残る口調で勢いよく話し出した。

 「これね、友達と、廊下の向こうからぶつかってね、
 あっちは鼻血出したんだけど、僕はここでね。
 すっごく血が出てね、すっごく怖かったんだけど、
 友達は泣いたんだけど、僕は泣かなかったんだよ、すごいでしょう!」
 
 少年がそう言って胸を張ると、おじさんは少し戸惑ったように
 2,3度瞬きして「そうか、泣かなかったか」と、笑いかけ、
 「でも友達もびっくりしただろうなぁ」と言った。
 
 少年は、自分の頑張りよりも友達をおじさんが気にかけていると思ったのだろうか。
 「でもね、でもね、僕のが泣かなかったもん、偉いよ」と言った。
 おじさんが少しびっくりしながら「偉い?」と聞くと、
 少年は「そーだよ」と、口を尖らせた。
 「だって、鼻血は1日で治るじゃない。僕のここは1日じゃ治んないんだよ。
 すっごくすっごく痛かったのに、泣かなかったんだもん」
  
 確かに鼻血は1日で治るけど・・・・
 何か比較が間違っているような・・・・
 少年の一生懸命な訴えと、
 思わず漏れ聞こえてくおだやかなおじさんとの受け答えに、
 私は顔が緩んでくるのが止まらず、必死で顔を引き締め、耳は正面に向けながら
 吊り広告をながめた。

 おじさんは「でも、鼻血はびっくりするからなぁ・・・。」
 おじさんがやっぱり友達の方を気に掛けているので、少しすねたような少年が、
 また「でも・・」と言おうとした時、
 おじさんがニコニコと「仲直りはしたのか?」と訊ねた。
 少年はパッと顔を輝かせて「うん!」と言った。
 「そうか、そうか」と、おじさんは偉いぞと目で語りながら、
 本当に嬉しそうな顔で少年の頭を撫でた。

 「お、着いたぞ」おじさんはそう少年に言い、二人は電車を降りていった。
 おじさんの隣を歩く青いTシャツの少年はとてもとても嬉しそうな顔をしていた。