美輪明宏コンサートにて

空にぼんやりとした半月が浮かんでいる。
 最近ブログの更新が進まない。
 何故と言って・・・寒くって色々が億劫であったかいものを食べて飲んで
 のんびりしているのが心地よいのに加え、誕生月間。
 たっぷりと遊び歩・・・もとい旧交を温めているのが原因であること、間違いない。

 美輪明宏さんのライブに行った際は絵本の中の月の様にほっそりとして大きかった月が、
 今はもう半分にまで膨れている。

 あの日、コンサートは歌と言うよりも語りから始まった。
 彼女・・・彼?・・美輪さんの口から語られるのは戦争の話。
 政治の話、戦争で虐げられてきた人々と文化の話。

 自分を24歳だといい、皆が笑うと
 「何十回でも24を繰り返すのよ」と嫣然と笑う。
 実際の年齢はどうやら71歳のようだけれど、年齢不詳というのがまさにしっくり。


 襟元に大きなレースのついた白いシャツ。
 黒い髪を耳の辺りでクルリとカールさせたボーイッシュな髪型。
 キラキラと輝くスパンコールでエッフェル塔が描かれた滑らかな黒いズボン。
 モダンな色使いで描かれた昔の銀座の街並みをバックに真っ直ぐに背中を伸ばし
 美輪さんは客席へと語る。
 
 郵便局や補助が少なくなってこんなはずじゃなかったと言う人は
 自民党に入れなければ良かったのだ。
 入れたなら文句は言うべきじゃない。
 自分が起こす行動の結果がどうなるのか考えるようにと美輪さんはいう。
 駄目だったのならちゃんと1票を考えて次は入れなさいと。

 憲法を改正する意味はなにか。
 必要があるのか。

 9条を変えるならば・・・変える事になったならば仕方が無い従いましょう。
 けれど、変えるならば、変えた国会にいた全ての政治家。
 70、80、90の年寄りになっていたっていい。
 最前線へ行きなさい。
 国民の恋人、夫を連れ出すのだからそこまで責任を取りなさい。
 政治家の奥さんも従軍慰安婦として連れて行きなさい。
 家族がその決定を引き止められなかったのだから。
 安全な所から、他人ばかり動かすことは卑怯だ。

 そう、美輪さんは言う。
 家族をというのまでは私には納得がいかないけれど、
 どんなに年行った方であっても国会にいる限り責任はあるわけで、
 大まかな考え方には賛成。
 同行の友人も、会場のあちこちの人も何度も頭を縦に振っている。

 私たちが使う言葉は、口先だけならば何とでもいえる。
 言葉は人を騙すし、物事を偽れる側面もある。
 けれど、心が乗った言葉はその心の意味を偽らないで相手へと届ける。
 
 美輪さんの言葉は難しいものじゃない。

 目先のことに飛びつかず、自分のすることの先を責任を持って考えて行動すること。
 人に優しく、夢見るような日々の美しさを大切にすること。
 変わること、楽しむことを懼れないこと。

 自分の未来、行動、全てに美意識を忘れないこと。
 人の心を、何かが起こったとき弱い立場の人がいることを忘れないこと。
 自分と他人と生かしてくれている全てに恥じない生き方をすること。

 「祖国と女たち」という放送禁止になっている唄を歌う前に、
 美輪さんは日本人従軍慰安婦の話をした。
 先の大戦で日本軍が本当の最前線まで日本人女性を連れて行ったこと。
 カフェの女給のような仕事だと偽って、商売の方々を勧誘したこと。

 最前線で亡くなっても、
 日本人女性を最前線に連れて行ったことが他国に知られるのは国の恥だからと
 死んだ方は中国服に着せ替えられ、捨てられた。
 時間があるときは仲間たちがその女性を焼いて見送り、
 最前線の場であるから女性達は昼も夜も無く兵士の相手とともに銃も撃たさせられたそうだ。
 
 美輪さんの生まれが1935年。
 世界大戦が終わったのが1945年。
 原爆の爆心地近くにいたのに奇跡的に無傷で助かったことを除けば、
 日本での困窮はともかく、美輪さんが実際に戦地へ赴いたことは無い。

 これは伝聞で、美輪さんのお家の裏に住まれていた女性達。
 実際に戦地へ従軍された方達から聞かされた事。
 死んでも骨も拾ってもらえず、帰国してどれだけ辱められて生きたかを女性達は
 小さな美輪さんに語ったのだろう。

 「祖国と女たち」というのは、その女性たちの悲しさと怨嗟の込められた曲で、
 美輪さんは「この曲を歌うと私の後ろへその女性たちがやって来るのだと言った人がいる」
 と言っていたけれど、実際これが凄まじく、聞いていると舞台上の美輪さんが歪む。
 声が、空間が、距離感が、全てグルグルと伸びたり縮んだりして、
 美輪さんの体から発散される声と言うエネルギーがどろどろとした色や質感があるように思え、
 こちら自身がそちらに吸い寄せられていくような、離れていくような・・・
 歌の言葉が心に響いて
 舞台上の美輪さんが消えていくような、存在を増していくようなひどく不思議な心地になる。
 
 曲が終わってトークが始まると、自分の体が随分と前傾になって緊張していたことに気づく。
 
 美和さんの故郷でもあり、美和さんの生地でもある長崎がどんなに美しかったか。
 裾からはハイヒール。着物の襟元を開け、レースの半襟を出し、
 ジャラジャラとアクセサリーを付けて小さな中国の傘をさしていた女性たち。
 和室に下がったシャンデリア、モダンな嵌め込み。
 ロマンティシズムに満ちた当時が美輪さんの口からきらきらとした輝きを放って語られる。
 
 軍人たちがあんな馬鹿な戦争を始めなかったら。。。
 あんなにすばらしかった文化も無くならなかったのに・・・
 軍人たちが杓子定規に美しくない色合いばかりを推奨したから、
 日本を形作っていたロマンティシズムは消えたのだ。
 「長崎は本当に夢のような所でした」と呟くと、美しいものを懐かしむ曲へ。

 語る言葉は様々だけれど、三輪さんは愛おしむことと考えることの姿勢を語る。
 貧しい人、苦しくたって守るもののある人の姿は美しく気高いのだと、
 苦しくても頑張っている人を唄で慈しみ、讃美し、その人たちに対しての恥じらいを持っている。
 
 上から労わるのでもない。
 下から見上げるのでもない。
 同じ目線で唄い、自分の豊かなことを恥じつつ、生きてきたことに誇りを持っている。
 不思議な方だ。

 15分の休憩を挟み、約2時間半、美輪さんは1曲1曲に前例をこめるようにして唄った。
 中でも最後の「愛の賛歌」と「女優の歌(正式名称はまた調べます)」。
 それから「金の星(正式名称はまた調べます)」、「祖国と女達」・・・他にもたくさん。
 それぞれ別格の素晴らしさだった。

 ラスト、私は夢中で立ち上がり、拍手を送った。
 美和さんという方の歌は歌らしい歌もあれば、語るように歌うものもある。
 曲が終わるとしばらく呼吸が乱れるものの、語っている間に息は納まり次の曲へ。
 御本人の卓越した演技力もあってか、それぞれの曲がまるで短編小説であるかのように
 老若男女イメージが変わる。
 その存在感も、まったく違う。
 今、しゃんと背筋を伸ばして若い人を演じていたかと思えば、
 シチュエーションによって年寄りが若者の服を無理してきているように見えてくる。
 服を替えたわけでもないのに・・・

 この方に役者をやらせてみたいと最初に思った寺山修二という方は本当に凄い。

 客席は女性比率が多いのだけれど、
 先入観を持たず是非この方のコンサートに行ってみて欲しいと思う。
 是非に。
 私の文章ではとてもそのよさが書ききれないので・・・
 HPの情報によれば、これからの予定のものは殆どSOLD OUT。
 コンサートに行くこともなかなか難しそうではあるのだけれど・・・

 残念ながら私はまだ見たことが無いのだけれど
 あの卓越した演技力で演じられる劇を一度観て見たい。