蝉と人

このところ、昼間は賑やかな蝉の声が夜になると聞こえない。
 涼やかな秋の虫たちの声だけが波紋を重ねあうように響いている。
 昼夜を問わず鳴いていた蝉が静かになるのは、
 残された体力を昼に温存するためか、肌寒く感じられるほどの気温のせいなのでしょうか。



 夕方、少し大きな駅の改札をくぐると
 蝉が構内に閉じ込められたと凄まじい勢いで飛び回っていた。
 蝉が出られそうな開いている窓は、正面の2つしかない。
 だが、蝉は大騒ぎをしながら天井ぎりぎりに行ったかと思うと
 電車のホームの案内図にぶつかり、仮設のCDショップの周りを一回り。
 最後には
 CDショップの棚の隙間をくぐり損ねて「ビ」と大声を立てて床へ落ちてしまった。



 仰向けに落ちた蝉は「一体自分に何が起こったのか?」と混乱の中で考え込んでいるのか
 ピタリと動くのを止めている。
 
 駅構内にいつもどおりのざわめきが戻る。
 まさか・・・  
 
 いやいや
 蝉の左の後ろ足が、右の前足が、
 まだ自分はちゃんと動けるのかと自問するようにゆっくりと動く。
 CDショップの店員さんがそっと近づいてしゃがみ、指を差し出す。
 蝉はその短い足を伸ばして店員さんのふくよかな指に掴まり・・・
 「ビビビビビ」と、大きな羽音をさせて床にまた落ちた。
 
 「ごめん!ごめん!ごめん!早かったね」
 音と勢いにちょっぴり腰を引きながら、店員さんが慌てて蝉に謝る。
 蝉は羽の勢いでクルクルと床の上を回り、もう一度差し出された店員さんの指にしがみついた。



 もう落とされない。
 もう落とさない。



 蝉と人。
 種としては、随分遠くの分類だけど
 一人と一匹の思いは互いにしっかり伝わっているようだった。



 黄色のエプロンをした店員さんは、
 蝉がとまる右手の人差し指を左手でそっと覆って
 人混みの中を抜けていった。



 窓から外へと出された蝉は
 ここは本当に外なんだろうか?
 また、落ちはしないだろうかと思ったのか、
 彼女の指先で少しの時間を過ごした後、
 まだ青い空の中へ飛んでいった。



 ちょうど、24時間前のこと。