暑中見舞いに・・・

 7月になっても梅雨が明けたと聞かない。
 西では、長雨の影響で地盤が緩くなったりしているとか。
 東京は雨に苦しんではいないけれど、
 梅雨明けがなかなか来ないから暑中見舞いが書きにくくって出し辛い。
 家には両親宛のお中元がきているというのに・・・
 そろそろ出してもいいのかな?
 お中元よりもう少し後に出すのだったかな?
 
 小学生の夏休み
 たらたらと汗を流しながらせみの声を背中で聞いて
 暑中見舞いを書いていたような気がする。
 扁桃腺が弱い私はエアコンが嫌いで、風の通り道に机を置いていた。
 当時はまだシャーペンなんて使っていなくて
 額に張り付いた髪の毛を耳の後ろにかけた拍子に
 汗が鉛筆を伝っていったのを妙に覚えている。
 庭から渡る風は微かで、じっとりとした夏の草と土の匂いがしていた。
 
 堪え性というのがそんなに無かったから
 1日に書ける暑中見舞いの数は限定されていて、
 いつまでたっても次のノルマが進まなかった。
 
 今と違って
 きっと今までの人生で一番動物的で健康的な生活をしていた頃。



 朝、目が覚めると公園に走りにいった。
 朝露が散った植え込みは
 昼に発散させている生々しいほどのエネルギーを密かに、確かに溜め込んで、
 ゆっくりとほくそ笑んでいるような、わくわくと待ち受けているような気がした。
 
 夏の朝は早い。
 眩しさよりも暑さで目覚めるのはきっと人間だけじゃない。
 寝苦しいのか、樹上から聞こえる夜明け前の鳥たちの呟きは
 他のどの季節よりも多い気がする。



 ラジオ体操の始まるより随分前の時間。
 蝉の幼虫が地上へ登るのを見つけた。
 そっと家に持ち帰って、カーテンへ這わせた。
 ごしごしと目をこすって、顔を洗って
 何度も欠伸噛み殺して、幼虫が蝉になるのを見ていた。
 
 じれったいほどにゆっくり蝉は脱皮する。
 ゆっくりなくせに目を離すと随分事が進んでいる。
 
 脱皮をし始めた瞬間に、音がしたかどうかは覚えていない。
 でも、うとうとと仕掛けた瞬間に
 何かの音が聞こえたような気がした。



 気がつくと黄土色の背中に
 すーっと翡翠色の線が一本。
 線はかすかにかすかに太くなって
 そこからゆっくりと何かが出てきた。



 自分の皮を足がかりに、自分を引き抜く。
 爽やかな若草色の宝石のような目があった。
 クシュクシュに縮こまった白い羽根に草色の葉脈が走る。
 小さく畳まれていたものが、ゆっくりとまっすぐに矯正されていく。
 あの小さな幼虫としての体の下に、どうやってあんなに大きな羽根をしまいこんでいたのか。
 
 夢中に眺めるうち、気がつくと蝉の形をした宝石のような蝉がいた。
 昼間見かける蝉たちとは
 明らかに違うような白と緑の蝉。



 見ているうちに体の色が段々に変色していく・・・・
 
 気がつくと、蝉が鳴いていた。
 目を開けると、家の中に蝉がいた。
 ほんの少しの瞬きのはずが一瞬にして眠りに落ちていた。
 宝石のような蝉はただのミンミン蝉になっていて、
 私は母に蝉を二度と持ち込まないようにと叱られた。



 プールに行って、昼寝をして、アイスを食べて、眠って、走って
 扇風機に向かって叫んで・・・



 あの日出した暑中見舞いに蝉の脱皮のことを書いたか覚えていない。
 あの光景は今もずっと残っているのに・・・