空き巣に注意

ここ数日、頭が痛むのでブログをおさぼり。
 暑さのせいかもしれないけれど
 「理由もわからず薬に頼るのは嫌」と、痛みと共同生活に励む。
 むしむしとした気候と、いやになるほど眩しい太陽がめまいのするような痛みを助長する。
 今は随分持ち直してきたけれど、
 ジャンベのライブに友達とのお茶。
 見逃したカーンの雄姿・・・。
 駄目になってしまった予定が悔しい。



 それにしても皆、どうして「カーンが格好良い」というと凄まじい顔で聞き返すのだろう。
 男の子なんて特に「あれが?」と容赦が無い。
 いわゆるハンサム、美男子ではないけれど、
 いい顔してると思うのだけど・・・
 スティーブン・タイラーといい、カーンといい、
 どうして理解されないのか・・・。
 
 帰りがけ、こんな看板を見つけた。
 「空き巣注意!!」
 寄ってくる蚊を必死で撃退しながら妙に引っかかった。
 何気なく使ってきた言葉だけれど
 「家」を「巣」と呼ぶ。
 これってかなり面白い。



 辞書(ネット上・大辞泉より)で調べてみると
 
 「家」の意味は大体こんな感じで



  1 人の住むための建物。すまい。家屋。「―を建てる」
  2 自分の住んでいる建物。うち。自宅。「あすは―にいます」「友人を―に招く」
  3 夫婦・親子・兄弟など血縁の近いものが生活を共にする小集団。家庭。所帯。
   「結婚して―を構える」「―を切り盛りする」「貧乏な―」
  4 祖先から代々続いてきた血族としてのまとまり。
   また、その伝統的な名誉や財産など。家名。家督。「―を継ぐ」
  
 「巣」はこうなる。



 1 鳥・獣・虫などのすむ所。「ネズミの―」「小鳥の―」
 2 人の住む所。すみか。「愛の―」
 3 よくない仲間が寄り集まる場所。「悪党の―」
 4 クモが獲物を捕まえるために張る網。



 「家」というと、人のものというだけでなく
 「いるべき所」のようなニュアンスがあるような気がする。
 なんというのか、単なる生活の場という以上に
 理性でもって集まるべき場所というか
 集まる義務が発生している場所のような気がする。



 対して「巣」は、基本的に動物たちのものという意味だけではなく
 生活の生々しさ、感情の縺れや絡まり、
 義務よりも必要で発している場のような気がする。



 基本的に誰かの部屋を「巣」と形容するとき、
 その部屋は「あまり綺麗ではなくて」「その人にだけ居心地が良い」というイメージがある。
 つまり、その場所を使っている人達にとって最高の使い勝手のある場所。
 書類をうずたかく積みながら、何がどこにあるのか持ち主だけがわかる机のようなものだ。



 「巣」と「家」とのイメージの大きな違いは
 誰かを迎え入れることを考えているかどうかに尽きると思う。
 
 書類をきちんと整理して、
 誰がみてもすぐわかるような机のようなものが「家」ではないか。



 道と道の間には家々が連なり
 家の向こうにはまた家がある。
 けれど、そこに人が生活している限り
 そこはそこに住まう人にとって最高の居心地のよさを追求した
 かけがえの無い「巣」でもある。



 出かけたら、必ず戻ってきて「生活する」場なのだから。
 
 「泥棒に注意」と書くでなく
 「空き巣に注意」と初めて書いた人は
 よほど「人」というものを知っていた人に違いない。
 「家族」の生々しさと絆を知っていた人に違いない。
 
 綺麗・汚いは別にして
 自分の家を「ただ寝る場所」ではなく「巣」だと思える人は今どれだけいるだろう。
 ただ義務で寝て起きる場所ではなく、
 不安から逃げる場所ではなく、
 安心と、濃密な人間関係。
 それを築いていく場所だと。
 
 最近、「空き巣」という言葉が
 なんとなく空々しく感じる。
 段々に死語になっていっている気がしてならない。
 それは、なんだかいつも不安を感じているように思える
 子供たちの犯罪のニュースを見るからかもしれないし、
 家族の絆が薄れてきているといった報道に影響されているのかもしれない。
 
 家が段々「巣」と呼べないものになってきてしまっているような気がする。