大きな打ち水

薄っすらとした雲の向こう側から
 半分より少しふっくらとした大きな月がのぞく。
 このところは雨音のように蝉の声が降る夜もあれば、
 蝉の声は控えめで、コオロギ達の囁きが夜を満たす。
 そんな日が交替しながら続いている。



 突然、凄まじい蝉の声がした。
 どこかにぶつかったのだろうか。
 叫んでいる。
 私の前方の暗がり、地上30〜40cmを声が上下しながら右から左へと
 移動していく。
 蝉の声の移動が止まった。
 闇の中、緑に光る小さな目が2つ。一瞬、こちらを向いた。
 小さな鈴の音が一つ、したような気がした。



 蝉の鳴き声は、ビービーと啼きながら左の家の門の下、地上10cmあたりを潜り、
 奥の方へと動いていった。
 1度、2度、大きな声が聞こえたかと思う。
 しばらくすると静かになって、また1度、蝉の声が聞こえた。
 それっきり蝉の声は聞こえなかった。



 私は夜風にじっと耳を澄ませた。



 今日は久しぶりに雨が降り、天から打ち水をされたような心地の良い日となった。
 冷房を皆が掛けるから、電力が不足していると聞いた。
 今年の気温は鰻登り。そのくせ、夕立がさっぱり降らない。
 空にある雲をぎゅっと絞ることが出来たなら、どれだけ大地が潤うだろうと思うのだけど、
 全然全く雨が降らない。



 これだけの暑さ。
 水源の無いところにある植物は放っておいたら立ち枯れてしまう。
 ふと、今が水道の無い、井戸で生活している時代だったらどうなるだろうと考えた。



 この暑さだ。
 大地は乾いているだろう。
 土の上を走る川も、上流から下流へと流れる間に、流れを痩せさせてしまうだろう。
 木々は日々を過ごすため、より多くの水を求めるだろう。
 人は乾き、井戸へ、川へ、何度と無く足を運ぶことになるのだろう。
 
 育てている植物はどうだろう。
 人が引く水もなくなり、植物は枯れ、あるいは早すぎる実りの季節を迎え、
 本来の実りの恩恵をもたらすこともなく、種を残すためにただ、必死で生きるだろう。



 人は更に水を欲し、水を訊ねて行くのだろう。



 それを思うと、水道があること。
 貯水地があることは素晴らしいと思う。
 これだけ雨が降っていないのに、私たちは水が飲めるのだから。



 夏の前までは、水不足が喧伝されていたけれど、今は電力不足ばかりで
 水不足は言われていない。
 もし、水が不足していないのならば、いっそ酷暑の酷い土地へ放水車でもって打ち水でも
 してくれないだろうか。
 飛び降り防止だかなんだか、高層ビルには窓の開かない所も多い。
 
 この暑さでやけどしそうなほど篭もった熱を持ったビル郡に、
 じゃんじゃんと放水車から放水するのだ。
 ビル郡に頭から水をかぶせば、外壁を伝う水はじゅわじゅわと音を立てて蒸発し、
 ビルの周りに蒸気を目一杯立ち上らせて、たまに虹の橋など掛けつつ、
 水蒸気が固まり出来た巨大な雨雲を空に作ってくれるに違いない。
 
 雨雲を一つ作る。
 雨雲を二つ作る。
 している間に、空の向こうから
 ぽこり、ぽこりと新たな雨雲がやってきて、
 暑さに苦しむ所へザァーット夕立を降らせてくれるに違いない。
 
 雨乞いで火を焚くのだから、
 大規模な打ち水も雨の呼び方として間違ってないのじゃないかとそんなとりとめもないことばかり
 考えている。