自転車あそび

道端に止まったスクーターから、古い時計が秒針を刻むような音がした。
 メトロノームより少し硬い音が、チッチッチッチと段々小さくなっていく。
 音の間隔が広がっていく。



 スクーターが頑張って走って熱くなったから、
 外気で冷やされた鉄が、こんな音をさせるんだろうか。
 段々小さくなっていく音は何だか切なく、記憶に小さなささくれをつくる。



 消えていく音が何かの面影を引き寄せてくる。
 何かがあったはずだ、と。
 
 そういえば、昔、自転車が好きだった。
 背の高い母の自転車を、ハンドルを触るのがやっとの私がうんせと押して、
 広かった当時の庭の黒い柵際に持って行く。
 
 小さな木戸の脇には小さな木で出来た門があり、頭上に大きな蜘蛛が3匹、
 つやつやとした大きな巣を張っていた。
 黒くて、黄色の縞が入っていて、大きくて・・・怖かったけれど、
 我が家の蜘蛛の巣は雨の日も、晴れの日もとても綺麗だったから、
 怖いくせに家のがいちばんだといつも思っていた。



 6本ほどの細い杉の木立らしきものを抜け、山吹の茂みの下をくぐりぬけ、
 楓の若木のすぐ脇の黒い柵へ自転車をもたれさせてひとまずフゥッと溜息を着く。
 気がつけばふつふつと湧いていた汗を半袖の袖で拭い、シャツのお腹をつまんで扇いでいると
 木々を揺らして風が吹き込む。
 一瞬、蝉の声が消えた。
 
 息が整うと、またもたれさせてた自転車と格闘する。
 母はいつもらくらくと三角の脚を立てているのに、小さな自分の手に架かると自転車は
 右に、左に、ぐらぐらと揺れる。
 自転車のお尻の部分を掴んでぐっと後ろに反っているのに、自転車の頭は嫌だ嫌だと首を振る。
 
 自転車をただ立てて止めるというだけの事にどれだけの時間を掛けて、
 どれだけのかすり傷を負ったのか。
 子供はへこたれるということを知らない。



 やっとのことで自転車を立てると、
 脇に立てひざを付き、座り込み、ペダルを掴むとグイっと回した。
 ギュンと音がしてタイヤが回る。
 放射状に張られた銀色の線が回ると線の間に残像が見える。
 銀の糸が張ってあるだけのはずなのに、自分が回すとなんだか違う光景になる。
 タイヤから、小さな風が吹いてくる。
 楽しくなって、また、ギュンと回す。
 
 あまり一生懸命回すと止めてある自転車が動き出してしまうので用心しながら、
 ぐるんぐるんと又回す。
 タイヤの回転が少なくなると、風も小さくなった。
 手を離すと反動のまま、ペダルもタイヤもくるくると回り、ゆっくりゆっくり止まっていった。
 私の手がないのに回るそれが不思議で、何度も回し、手を離した。
 ペダルとタイヤは、勢いよく回っていた想い出を噛み締めるように止まっていった。
 
 ゆっくりゆっくり音させながら・・・
 そう、あの音に似ている。
 
 母は、私が何度も自転車の下敷きになり、自転車を泥だらけにするから、と、
 私がペダルを回して遊ぶのを嫌っていた。
 私も、いつのまにか、そんなことをわすれていた。
 
 夏草の香り。
 立ち上る地面の匂い。
 蝉の声。
 自転車から、カラカラと小さな音が響くあの光景が瞼に浮かんだ。