藤の日付

もう、桜が散ってしばらく。



 花弁の間に青々とした葉が覗いていたのも、
 雨に打たれた花弁が桜の脇の壁を薄紅色に染め替えていたことも、
 道路の水溜りから排水溝へと流れていく水面の花弁がくるくると回っていたことも、
 庭に面した窓を開けると真っ白な星のような花ニラが無数に咲いていたことも、
 気がつけば全て過去の季節の中に組み込まれてしまった。
 
 目に入る青葉は、
 どこかしら内から光を発している蛍光色が隠れているようで
 芽生え始めた葉の色を「萌黄」という名付けた人は何て素晴らしいのだろうと思う。
 燃え立つように、明かりを発するように、葉は萌える。



 ふと通りがかった公園で、藤棚が薄紫に染まっているのを見つけた。
 淡淡とした紫の御簾の下を歩くのを少し楽しんだ後、
 友人に「藤棚がとても綺麗に染まっている」とメールをすると、
 友人から「もう?」という言葉が返ってくる。



 一昨年のGW、佐賀に行った私が藤棚の写真を送ったことを彼女は
 はっきりと覚えていたのだ。



 2本の藤から何メートルも続く長い藤棚が出来ていた。
 30cm〜50cmは優に在る白や紫の藤の房が
 幾つも幾つも頭上に揺れているのは壮観で、私は溜息ばかり。



 あの時、私は友人にその美しさを伝えたくて、
 言葉が見つからなくて、
 耳の中に鼓動が聞こえるほどどきどきしながら
 友人にメールで写真を送った。



 写真をみた友人は本当に綺麗だと言って、
 しばらくその写真を携帯の待ち受け画像にしていた。
 
 あのゾクゾクするような藤を見てから2年。
 南にある佐賀の方が、東京よりも早く藤は咲くだろうに・・・
 その時より半月以上も早くに東京で藤が咲いている。
 風が吹くたびにゆらゆらと重そうに揺れていた
 あの日の藤の回廊は、本当に夢のように美しかったのだけど。
 
 その想い出にこんなにはっきりと季節が前倒しされ、
 突き動かされているのだと示されるとは思わなかった。
 
 なにかをすることは勿論、
 私たちは何をしなくても大丈夫だろうか。
 と、自分に出来ることを考えてみる。