北海道にて・層雲峡など

 層雲峡に初霜が降りた朝は、しっかりと着込んでも尚寒く、
 どこまでも澄んだ青空の下、
 色づいた山々は絵よりも鮮やかに振袖の刺繍よりも艶やかに装い、
 山の上から吹き降ろされる風に、
 ひらひらひらひらと銀色に光る葉が山頂から順に散らされてゆく。
 銀に輝く錫のような不思議な葉っぱは他の木々の葉よりもゆっくりと回転しながら落葉し、
 山の中でそこだけ違う時間が流れているような気がする。



 初霜の前日も30分ほど霰(あられ)が降ったが、
 幾日か前に大雨があったらしく、石狩川はどうどうと音を立てて勇ましく流れる。
 私の目測によれば、岩についた流れの跡から30cmほど水位が高くなっているようだ。
 
 私が泊まったのは層雲峡ホテルという所で、同じ日に何百という人が同宿していた。
 露天風呂の方は小さな屋根がついていて雰囲気も良く、友人とゆだる程に長話。
 お風呂場についた明かりは、庇の向こうにはまるで届かず、
 東京では見ることができない真っ暗な闇がたたずんでいた。
 
 泉質はあまりとろりとした感じではなく、もっと硬くてさらさらしている。
 非常に寒い夜で、乾燥肌だからというわけでもないけれど、
 ここの温泉は冬というより夏向きではないかと思う。
 たっぷり汗をかいた後には、こういうさっぱりとした湯が向いているように思う。
 個人的に冬はやっぱりとろみの温泉が、肌が潤い良い様な気がする。
 もっとも、この日は石狩川も増水中。
 この地に降った雨が混ざってこの日だけ泉質が変わっていても何もおかしなことはない。
 
 北海道へ行く前、
 友人が「北海道は海外みたいで感動するよ!」と言っていた。
 確かに空は広い、家の間隔は広い、地平線が見える所も多い。
 違う国のようだと思ったけれど、
 北海道へ着いて最初に感動したのは地面の広さより雲の白さだった。
 真っ青な高い空の中に、真夏の入道雲のようにむくむくとした大きな真っ白な雲が浮いている。
 東京でめったに見ないような大きな雲はとても大きいのに
 北海道の空は東京とは段違いに広くその雲さえ包み込んでしまっている。
 太陽の光の綺麗な部分だけを溶かしたような白雲は、東京の白雲をさらに漂白したように白い。
 東京の空が排気で汚れているから、雲の色もこんなに違うのだろうかと、
 バスの窓から雲を何度も何度も見上げた。



 北海道はまさに黄葉が鮮やかな季節で、
 大雪の山々も到着したばかりの日は黒い山肌が覗いていたが、
 霜の降りた朝には真っ白に染め替えられて、雪山でございとすましている。
 あのすまし顔がこれから何ヶ月も続くのだろう。
 
 東京であれば秋に咲く花は赤か濃紺、濃紫が多い。
 北海道の道には薄紫の野菊と白いふわふわとした花をつけた花が見え、
 街路樹には白樺とスグリの実のような紅い実を結ぶナナカマドが並ぶ。
 ナナカマドは悪い妖精を祓う樹というイメージしかなかったけれど、

葉だけが先に落ちた枝に透き通るような紅い実がたわわに実っている姿は

 思っていた以上に愛らしい。



 北海道内を巡るバスの中で友人に思わず
 「あれ、教科書で出てきたよね」と呼びかける。
 本土よりも広く、ぽつぽつと見える家々の間に広がる畑に
 干草を丸めたような小さな小山がポコポコとできている。
 「牛達の冬のご飯かしらね、あれ、なんていうのだっけ?」
 と、二人でちょっと小首を傾げる。



 「う〜ん、小学校の時に習ったと思うのでけれど。。。・・・サウロ?サイロ?」
 と、言ったものの、それは違うと内心の声が告げる。
 「それは干草を置く建物よね?」と、友人。
 「そうよね」と、私。
 「あれ、何だったかしらね」と私が懲りずに言うと
 「まあ、良いじゃない」と、友人が笑う。
 言われると確かにあの名前に妙にこだわっていた気持ちがすぅっと軽くなってどうでも良くなって
 「そうよね」と私も笑う。
 大好きな友人ときている時に、物の名前についてだなんてぐだぐだ考えてなどいられない。
 
 何しろ空が広いのだ。
 風景が遠くに続いているのだ。
 広い大地をのんびりと一生懸命バスは走った。