洗剤の啓蒙。

段々と日を重ねるごとに肌寒さが染みてくる。
 今日のように雨の降る日は、特にまた。
 昨日までの自分にもう1枚羽織って外を行く。
 
 金木犀ももう終り。
 小さな色褪せた橙色の花が濃い緑の葉の間で僅かにしがみついている。
 しっとりとした空気は金木犀に代わって、一際あまやかな土の香りに満ち。
 薄ぼんやりした曇天の下、黒く湿った地面の上に、
 絵の具をぽつぽつ落としたような赤や黄色の葉が映える。
 
 ぐっぐと踏みしめてゆく足元で、一歩一歩踏み出すたびに地面から足の形に水が湧く。
 ぱっと後ろを振り返り、うっすらと残った自分の足跡を見て、
 ふと、今年はほとんどアメンボを見かけなかったなと思う。
 そういえば、ウスバカゲロウも見なかった。
 小さい頃は蟻地獄を見つけたことはなくても、夏はウスバカゲロウをよく見かけたけれど・・・。



 最近見られなくなったものは多い。



 ミノムシもそう。
 小学生の頃は冬の枯れ枝にポツポツとぶるさがっていて、
 千代紙の服を着せたりした記憶もあるのに、ここ数年はまるで見かけない。
 今年の冬はミノムシを見かけることができるんだろうか。



 なんとはなしに「アメンボ」を調べてみると、
 カメムシ科で、飴のような匂いがするからアメンボというのだと載っていた。
 アメンボの匂いなんて、嗅ぎたいと思ったこともなかったけれど・・・。
 アメンボの名の由来はアメンボの作る波紋が雨粒の波紋のようだから
 「雨の子供・・・雨ん坊」と勝手に思い込んでいた。



 先入観の怖ろしいのは、
 自分が思い込んでいるのが間違った先入観だということさえ分からなくないことだ。
 新しい知識で、思い込みを修正する時はいつも
 常に自分が正しいわけではないのだと改めて自戒することになる。
  
 アメンボを調べる過程で、アメンボは油に弱く、
 油膜の浮いた池や川では生きていけないのだと載っていた。
 既に絶滅危惧種とされているものもあるらしい。
 
 「水道水を産湯に生まれた」と、江戸っ子が啖呵を切るのに使ったように
 東京は古くから上水道が発達していて、
 街歩きの間に小さな川にぶつかることがとても多い。



 知らない橋から見下ろす川は、藻で緑に染まるものもあれば、
 川床にアスファルトで階段が作られているものも、
 干上がっているものも、怪しげなオレンジ色をして虹色の油膜に覆われたものもある。
 生臭かったり、真っ白な泡がコポコポと音を立てて川面を流れていることもある。
 自転車やタイヤが沈んでいることもあるのだ。
 
 気持ちの良い綺麗な川を見かけることの方が少ないかもしれない。
 アメンボを見かけなくなるのも仕方の無いことなのだろう。
 
 水質汚染で思い出したのだけれど
 5,6年ほど前に新聞の小さなコラムにこんな記事が載っていた。
 「洗剤のCMでは汚れた皿に泡立てたスポンジを直にあてて流水で流しているけれど、
 企業のホームページへ行くと、新聞などの古紙で使った皿の油汚れを大まかに取ってから
 洗剤で洗うようにと言っている。
 CMをする上でのインパクトのある形というのは分かるけれど、
 環境を考える洗剤、環境のことを考えてとコマーシャルで打ち出しているモットーと、
 CMで表現されているものとの大きな乖離がある。
 見栄えの良さで、環境のために動くことができる選択肢を減らしてしまっているのはどうなのか」
 と、こんな趣旨のことが載っていた。



 「なるほど」
 確かに洗剤のホームページに行くと、そんな洗い方が載っているメーカーがある。
 これからの環境を考える上で節水と排水の質を高めることを考えても、
 確かにそうした啓蒙はTVCMのようにより多くの方に知られてこそ。
 洗剤メーカーのホームページにアクセスし、
 環境についてかなりしっかりと考える方だけに限定するものではないのだと思う。



 とはいえ、お商売はお商売。
 古紙で汚れを拭き取るようなことはTV画面内での見栄えも悪いし、
 ただお湯に入れてスポンジでこするだけというところから、
 CMのなかで1工程増やして消費者にアピールすることは、
 消費者に「そんな面倒なことしたくないわ」という思いを抱かせてしまう危険性も大きい。
 
 いくら環境の為だと言って、商品を購入してもらえなければ本末転倒。
 購入してもらうためにこそ、環境問題にも関わっているのだろうから・・・。
 上手い具合にどちらもよい形でアピールできるようなCMは出来ないのだろうか?



 その記事を読んでそんなことを考えてから、少なくとも5年が経っている。
 洗剤のCMは今も変わらず、
 汚れはすぐ取れ、
 使っても綺麗な手指を保護出来ると謳う。



 大々的な形での洗剤の使い方の啓蒙は、一体いつ始まるのだろう。