三輪壽雪さん、明日まで

 朝から窓を開け放したままにしていたら
 部屋が金木犀の香りに染まっていた。
 お日様にあたってふかふかになった布団にゴロンと寝転び
 大きく息を吸って伸びをした。
 
 風が部屋の外の竹の葉を揺らし、せせらぎのような音を立てた。
 やわらかく吹き込んでくる風に、金木犀の香りが部屋へ溜め込まれていく。
 葉擦れの音に混じって聞こえる虫の音に誘われて、ゆったりと瞼が下がる。

 先日、知り合いの方にチケットを頂き
 東京都国立近代美術館(工芸館)に三輪壽雪さんという方の展示を見に行った。
 
 素晴らしかった。
 誰かと行かなくて良かった。
 
 「舐めるように」見るという表現があるけれど
 硝子に顔を寄せ、屈み、角度を変え、幾度も幾度も眺める。
 何が良くて何がいけないのかなんて、私にはわからない。
 けれど、その在り様が好きか嫌いかはわかる。
 「触れたい」と思う、皹が隅々まで躍るような物、
 赤い肌に黒々とした小蛇の鱗のようなものが流れる、
 真っ白な雪のこんもりと盛り上がった釉薬で醸される山肌に見る雪渓のような不思議さ、
 壷の中にたらたらと垂れた釉薬の鍾乳洞のような趣・・・。
 見上げるように見るとその佇まいにゾクゾクとするような嬉しさで惹きつけられる。
 舐めると言うより「噛むように、食いつくように」見ていた。
 
 お茶に関するものが多く、どれも似た様な形をして釉薬が掛かっているのに、
 一つとして似ているものがない。
 
 正確に言えば
 一見似て見える雑踏の人々が、
 どの人も2本の足でてくてくと服を着て歩いているのに、
 同じ人がいないのと似ている。
 この方の作品であるのはわかるのに、違うのがわかる。

 96歳という三輪さんは人間国宝なのだそうだ。
 人間国宝という言葉、さらりと使っているけれど、
 この方は「人」が「国宝」だという凄い言葉をそのまま納得させてしまう。
 
 変な言い方だけれど、
 作品を見ていると、この方はそうならなくてはいけかったのだと思う。
 この方が作品を作られる環境を、保持していかなければという思いに駆られる。
 人間国宝だからではなく、この人だから人間国宝なのだろう。

 96歳、しっかり現役。
 あんまりまじまじと見ているからと声を掛けてきて下さった方々によれば
 一つ一つの作品が、
 お猪口で50〜60万、器で云百万と下らないというから奥が深いし怖ろしい。
 
 まだまだとっても手が出せるものじゃない。
 フゥと溜息をついて、またじっと見つめる。
 
 私は昭和47年以降あたりからの作品に好きなものが多い。
 御年96歳だから63歳以降ということになる。
 あんな凄まじいものを見せられてしまうと、
 老化=衰退とはとても言いがたい。
 「老いてますます意気軒昂也」とはよく言ったもので、
 こちらは唖然として食い入るように見つめるしかできない。
 
 知り合いの彫刻・彫金の方に昭和47年以降が好きだと感想を語り、
 「人の変化、成長は年ではないのですね、
 なんであんなに心が寄せられるかわからないと魅せられました」とメールした所、
 そろそろ還暦のその方からこんなメールが返ってきた。

 「・・・歳を重ねると枯れるよりも大胆になる様に思います。
 多分自分にとって無駄なものを削ぎとっていく為だと思います。
 貪欲な人ほど単純になって行く様に思います(逆の方もいますけど)・・・」と。

 無駄なものをなくし、作る方の思い描くものの芯に近いものへ
 芸術に囚われた方は進み、
 その芯に向かう熱さ・灯りに吸い寄せられるように
 こちらも何故だか捕らわれてしまう。

 この不思議な連鎖反応は一体なんなのだろう。

 明日には終わってしまう三輪さんの展示。
 7月からやっていたそうなのでもっと早く知っていれば何度も何度も通えたものを・・・。

 個人的に特に好きだったのは
 鬼萩茶碗 銘 鬼ヶ島
 1976年の紅萩茶碗
 紅萩茶碗 銘 草もみじ
 萩茶碗 銘 掌中珠
 鬼萩翠色茶碗
 鬼萩茶碗 銘 深山雪
 1968年の萩粗ひび掛花入 
 鬼萩茶碗 銘 産霊
 鬼萩茶碗 銘 聴雪
 鬼萩割高台茶碗 銘 流砂
 白萩茶碗 銘 春雷
 リストのチェックをしながら見るタイプで無いので、
 気になって名を覚えているものだけでもこれだけある。
 出来上がったものに砂を撒き散らしたような近年の作品はなんだったか・・・。
 
 1976年に作られた紅萩茶碗は色づき始めた紅葉の葉先の薄紅を集めたような、
 薄紅珊瑚の頬を染めたような色をして。
 春雷の細やかなひびの跳ね飛ぶような爽快さ。
 草もみじの萌黄色。
 鬼ヶ島の豪快な黒。

 ブツブツと膨らみ、ふくふくと白い釉薬がざっくりと流れ、焦げる。
 水差しの形もきっちりとまとまるでなく、角を削られ、ゆがみ、そこだけ地の色が出ているのが
 白い雪の中に見える初春の河辺のようだと思う。
  
 夢中で見ているものだから
 「あなたは陶芸をやってるの?それともお茶?」と幾人もに声掛けられる。 
 
 会期はもう明日しかないので、見に行ける方はさすがに殆どないとは思うけれども・・・。
 行けるものなら是非お出かけください。
 
 竹橋より徒歩8分。
 東京国立近代美術館工芸館にて・・・明日9月24日17時まで。
 貴方は行けますか?