夏と秋の狭間

 開いたままの窓からオルガンが聞こえた。
 日曜日。



 いつもお昼の時間はあまり窓際にいないので気づかなかったのか、それとも今日が特別なのか。
 硝子から差し込んだ光が辺りのものを温めていくような・・・そんな優しい音が聞こえる。
 きっとご近所の小さな教会からの音。



 礼拝の時間とは少しずれているから、練習している音かもしれない。
 時々つまづき、同じ部分を繰り返す。
 キリスト教徒ではないけれど、昔は私もそこの日曜学校へ通っていた。 
 ここのオルガンは年代物で、
 演奏中に鍵盤の上方にある突起を引いたり押したりしなくてはいけない難物だ。
 
 この曲は何番だったか。
 なんという歌詞だったか・・・。
 小さな頃に覚えた体の記憶が、盛り上がる部分になると蘇る。
 虫たちの小さな声を友達に、オルガンのメロディーに合わせてそっと口ずさむ。
 「主はいませり・・・」「天地こぞりて・・・」「麗しの・・・」
 空は雲を溶かしたような水色で、日差しは不思議に透き通り、
 朝撒いた水は、庭の草木の葉の上でまだキラキラと小さな輝きを放っている。
 久しぶりの賛美歌は、記憶の歪みと歌い手の技量から、
 時々ずれておかしなメロディーになった。



 歌う音と思う音とが揃わないことが、
 毎週のように歌っていた頃が随分遠いところへ来たのだなと実感できて面白い。
 同じように声を出そうとしていようとも、
 鍛えていないことに加えて、
 子供の声帯から大人の声帯へと変わったことが上手くいかない一因ではないのかしらと
 音痴な自分をひょいと棚に上げて考える。
 
 心の中に跳ねる何かを乗せたまま、
 外へ出た。



 紅い百日紅がふわふわと垣根で弾み、
 芙蓉が小さな風にそっと揺れ、
 三毛の尻尾が車の下に急いで駆け込む。



 電線が、空の真ん中にピィっと黒い線を引く。
 駅の向こう側に見える木々の梢がわさわさと茂っている。
 原っぱではまだ暑い日差しに上半身裸で寝そべっている人がいる。



 夜は至って静かな蝉たちが、
 「いやいや、まだまだ夏だから・・・」とばかりに賑やかに鳴いている。
 蝉達の声が汗を噴き出させるのか、蝉が鳴くほどただ暑いだけなのか。
 
 ざわざわと風が渡ってくる。
 梢を揺らし、葉っぱを揺らし、まだまだ青臭い土の匂いを運んでくる。
 風で揺れる度、蝉の声が一瞬止まり、一層大きな声で歌を歌いだす。
 風の渡った道筋を歌で示しているかのように。



 広葉樹の枝先に黄色い葉っぱが数枚見える。
 栗のイガが茶色味を帯びたクリーム色になってきた。
 夜ともなればコオロギや、鈴虫が鳴いている。
 
 日差しも、強いけれどもとうに秋の光で・・・。
 もう夏ではない、でもまだ完璧に秋じゃない。
 夏と秋の狭間のそんな日曜日の午後の事。