刃物を貰って


 初めて刃物を持った日を覚えていない。
 初めて刃物で怪我をした日も・・・。

 先日頂いた梨をまな板の上でストンと切ると、水が梨から溢れる音がした。
 甘い香りがパっと爽やかに広がる。
 綺麗に皮をむいて指で軽く押してみると、
 梨の中に充ち満ちた水が梨を伝ってしたしたと落ちた。

 初めて貰った刃物は小刀だった。
 祖父が小学校の2年生になった頃にくれたのだ。
 普通の小刀と違い、薄くて、所々小さな錆びが見えた。
 昔、祖父が使っていたものだった。

 私は少し大人になったような気がして嬉しく、
 夜中ずっと鉛筆を削った。
 手回しも電動も、鉛筆削りはあったのだけど
 どうしても自分の手で削ってみたかった。
 初めて扱うものだから、当然ながら危なっかしく。
 手全体で力を込めたり、力の入れ加減がわるくて小刀を落としたり。
 柔らかな鉛筆に何度も刃を引っ掛けては、力ずくで削り、割った。
 鉛筆を削るには親指の腹で押すようにしなければならないと気づいたのは何時頃だったのか。
 削りくずが嫌になるほど出て洋服に入り込み、
 払っても払っても痛みと痒みが服の中にまだ残党がいると主張した。
 
 翌日、筆箱の中には不揃いに短くなった鉛筆たちが
 いつもよりもとても個性的な顔で自慢げに並んでいた。
 ランドセルの中で筆箱がカタカタというあの嬉しさが忘れられない。
 
 今では当時よりもずっと上手く鉛筆も削れるけれど、
 鉛筆自体をほとんど見ることがなくなった。

 次に貰った刃物はカミソリだった。
 小さな掌の中にもすっぽり納まってしまう2cm×3cm程の平たい真っ青な折りたたみカミソリ。
 小学校3年生頃だっただろうか。
 
 学校帰りはいつも古道具屋さんで道草していた。
 古道具屋のおじさんの椅子の脇には私用の小さな椅子が置かれていた。
 どんなきっかけでそうなったのかは覚えていない。
 学校帰りに表に出されている器などをじぃっと見ていた記憶と、
 お店の中でおじさんの脇に座っていた記憶しかない。
 記憶の狭間で何かがあったのだろうけれど、それはとっくに忘却の彼方だ。

 大きな古めかしいランプ。硝子で出来た浮子。
 雑多な瀬戸物、銀器、人形・・・・・。
 オレンジ色の電球が懐かしい形の傘の中からやわらかい光を投げかけて、
 穏やかな影を作り出していた。
 セピア色の店内はうっすらと黴臭さがあったけれど、
 それが初めて押入れに忍び込んだ時の不思議な高揚感と、落ち着きを与えてくれていた。
 
 「こんにちは〜」と入っていってランドセルを置くと
 私はおじさんの隣に座り、いつもじっとおじさんの手元を見ていた。
 キュッキュと音が鳴るほど力強く布でこするもの。
 スッと軽く撫でるもの。
 人形の髪型を整え、パタパタと鎧にはたきを掛ける。
 
 おじさんは仕事をしながら、それぞれの由来を訥々と話してくれる。
 鎧の家紋がどうだとか、人形の持ち主だったのはどんな人だったのか・・・。
 今ではほとんど覚えていないことも多いのだけど、
 おじさんの柔らかな声が小さな店内に波紋のように広がって、
 染み込んでいったのをよく覚えている。

 ある日、いつもの通りにおじさんの所へ行くと
 ランプの脇の台に見慣れない籠が置いてあった。
 覗くと、青と黄色の小さな長方形が沢山入っている。
 おじさんがぼそっと「今日入ったんだ。2個100円だ」と言って口の端で少し笑った。
 「一ついるか?」と、おじさんが言う。
 「これ何?」と、私。
 「カミソリだ」と、言われても、小学校3年生。
 そのカミソリが一体なんだかわからない。
 折りたたみ式の刃の出し方すらわからない。
 「ほら、こうやるんだ」と、見兼ねておじさんが教えてくれる。
 初めて開く小さな折りたたみ式のカミソリは固かった。
 
 黄色と青のカミソリの山を崩し、どれが一番いいかと捜す。
 どれも同じだとおじさんは笑ったけれど、そんなことはきっとない。
 「これがいい!」と青いカミソリを取り上げると、
 おじさんは黙ってポンポンと私の頭を撫でた。

 家に帰ると貰ったカミソリで何度も何度も紙を切った。
 折っては切って、切っては折って。
 そうしてできた紙の山を部屋の中でパァッと撒き散らした。
 紙吹雪ははらはらと華やかに散り、私は母に大目玉を貰った。

 しばらくして夏休みになり、私はおじさんの店へ行かなくなった。
 旅行だ、プールだ、宿題が、と騒いだ夏休みが終わり、
 またおじさんの店へ行くと、おじさんの店は消えていた。

 それからもしばらくそのカミソリはペーパーナイフとして使っていたのだけど
 中学の頃には錆び付き、危険だからと母に叱られ捨てられてしまった。
 その物自体はなくなってしまったけれど、今もふとあの青い小さなカミソリを思い出す。

 使わなければ怖さも使い方も分からない。
 刃物はとても危険なものだけど、
 それがあるからこそ出来ることが増える頼りがいのある自由な道具でもあると思う。
 
 先日友人が、「最近はやろうと思えば包丁なんて使わずに料理が出来るのよ」と言っていた。
 確かにその通り。
 世の中はカット野菜だの惣菜、レトルト食品で溢れかえっている。
 人それぞれ事情がある。
 それを使うことが悪いとは私にはとても言えない。
 
 けれど、その言葉から
 刃物をほとんど使ったことのない子供が、大人になって初めて刃物を手にしたら
 その先に何があるのかを理解できないようなことになるのじゃないかと
 思えてならない。