ラマダン

夜が更けて、やっと一息つけるような気がする。
 少し湿り気を帯びたような風がそっと室内に吹き込んできて
 知らずに身構えるようだった肩から力が抜けていく。
 庭から上がってくる虫の声は、ゆったりとしてまるで誰かの寝息のよう。
 ベランダの近くに立つと草の匂いの混じった土の匂いがする。
 雨は降っていないけれど、夜露で湿ってとてもふっくらとした柔らかな匂いになっている。
 暦の上では秋になり、日に日に土の香りが甘くなっているのがよくわかる。



 先日、知り合いと食事に行った先でこんな話をした。



 「僕はね、30年ほど前にイラクにいきましたが、ラマダンには驚きました」
 と、その方が言う。
 「宗教というのが生活と密接に結びついているのですが、
 あそこではそうでないと生きていけないような厳しい環境なのだというのが、よく分かりました」と。
 
 いつもキラキラと目を輝かせて未来の技術革新を語る素敵なその方は、
 今は大学の先生をなさっているけれど、当時は会社員で赴任なさっていたそうだ。



 当時、先生は外資系のホテル住まいをしていた。
 治安のこともあったのかもしれないけれど
 その頃のイラクは水道が壊れたとか、停電になったということも多く、
 外資系の場所からライフラインが復活していたためだ。
 
 日本とは違う乾いた熱風の吹く土地。
 水を飲んでも、すぐに体の表面が塩をふき、唇がバリバリと乾く。
 太陽は凄まじい重圧を伴って注ぎ、立ち止まるとそこに縫い付けられんばかり。
 水道はよく止まってしまうし、
 お腹が弱いのでホテルの部屋に用意されたミネラルウォーターが頼り。
 どこへ行っても熱く乾いた匂いがあった。



 「向こうに行くとね、いくら飲んでも喉が渇いてしまうんです。
 私たちみたいな日本人は。
 けれど、向こうの方は私たちよりずっと少ない量で普通に生活されているんです。
 あれを、環境への適応というのでしょうね」と、
 先生は少し困った時にするように眉をよせて口の端をちょっぴり上げた。
 「ラマダンの間、向こうの方は昼間はあまり動きません。
 日陰などでじぃっとしていらっしゃるのを見かけます。
 体力を温存して、体を環境に慣らして少しの水で生活していけるようにしているのでしょう」



 「イラクは日本ほど水資源が豊富ではないですしね」と言うと、
 
 禁酒中の先生はジンジャーエールを一口飲んで
 「そうなんですよ」と言った。
 
 そして、
 「だからきっとイスラム教ラマダン(断食月)というのを作ったんですよ、
 資源の少ない国で資源を有効に使い、争いが起きないように・・」と続けた。
 断食をすることで体を砂漠地帯での生活に適応させ、資源の無駄遣いを避けているのでしょうね。
 そんなことをひとしきり話して、
 先生は得たりとジンジャーエールをグビリと飲んだ。
  
 ぎりぎりの資源で、命をつむいでいくためには、断食という宗教行事が必須。
 それはわかっていても、実際に行かれた方の言葉は重みが違う。
 
 そういえばね、と、先生が一杯だけと決めたビールのグラスをじっと見つめる。
 グラスには泡の名残がそこはかとなく残る。
 「一度、ラマダンの時に人助けをしましたよ」と、先生はポツンと言った。



 ある日、ホテルへ入ろうとすると、
 ホテルの側の細道から必死で先生をてまねきをする人達がいた。
 彼らが住むところは何日も断水中だとかで
 2人はラマダンの最中だというのにほとんど水が飲めていなかった。
 人は、食べなくても生きられるが、飲めなくては生きていけない。
 (断食月とは言うけれど、ラマダンはちゃんと朝と晩に食事します)
 まだ若かった先生は慌ててホテルの部屋に行き
 先生のために用意されていたミネラルウォーターを渡すと、
 イラク人の二人は先を争うように水を飲み、大切そうに残った水を持ち帰っていった。
 先生のホテルでは、普通に蛇口から水が出ていたという。



 当時のライフラインの回復は 
 政府系の建物や外資系のホテルが一番。次が高級住宅街、一般住宅街・・・となっており、
 先生に声を掛けたように、一般のイラク人がホテルを使う人達に水を乞わないよう、
 ホテルにイラクの人が入ると追い出されることも多かったそうだ。
 
 「本当にね、イラクの人はいい人ばかりで、とても優しくしてもらいました」
 と先生が穏やかに微笑む。
 口に出されることのない思い出を楽しまれているのがこちらも嬉しくなる。
 ふと気がつくと、
 禁酒中の人の1杯だけのビールグラスがまた一杯になっていた。



 ホテルとの格差はともかく、
 水資源の少なさによる節水の必要性。
 環境に自分の体を適応させるための宗教であるイスラム教と、
 環境が変わるまで待つ日本。待てる日本。
 そんな話を飽きることなく
 先生と
 ずっとずっと語っていた。




 なんとなく、
 こんな風に閉店まで語ってばかりいること自体が、
 秋の訪れを象徴しているような・・・そんな気がした。