太陽の下で見たならば・・・

先日、上野の東京国立博物館で「プライスコレクション〜若冲と江戸絵画」を観て来た。
 若冲の描く猫のような虎の不思議な曲線や、鶏の躍動感の溢れる羽先の乱れ、動き、表情、
 デジタルな遊び心を感じさせる不思議な「鳥獣花木図屏風」・・・・
 それぞれに楽しくおもしろかったけれど、
 実際のところこのコレクションは「若冲」と銘打たれていても
 そこまで若冲ばっかりというわけではない。



 このコレクションをお持ちのプライスさんという方は、
 絵をとっても楽しんで鑑賞される方のようで、
 お持ちの絵を障子越しに日の光を透かせて見たり、蝋燭の火で眺めてみたりとしているらしい。
 今回の展示は、そのプライスさんの思い入れがある。
 絵の前のガラスを取り払い、
 舞台用の照明を使って普通の白色光から太陽光に近い暖色光をあてて、
 光による絵の違いを楽しめる部屋があるのだ。
 
 若冲の絵も、他の様々な絵も素晴らしいのだけど、
 とにかくこの部屋が凄い!
 
 「素敵な鷺の絵があるな〜」と、観ていたら、明かりが変わった瞬間に鷺が羽ばたく。
 
 街中の往来を行く人々の姿を描き、屋根の上にふわふわとした金の雲がたなびく絵では
 暖色の明かりが強まる毎に往来を行き交う人々の姿が生々しく、
 息遣いさえ聞こえてきそうなほど生き生きと浮かび上がってくる。
 絵の中の人々なのに、あまりに生きているようなその姿に、何故物売りの声や
 人と人との雑踏のどよめきが聞こえないのかと首を傾げてしまう。
 そのくせどこか音にならないざわめきが聞こえるような気がする。
 そうして、ふと、そのざわめきが小さくなったと思ったら
 光が段々と絞られており、人々の姿は薄暗がりの中へ入り、
 街の上にたなびく金の雲の姿だけが網膜に残るのだ。



 朝から、晩までこの絵を見ていたら、絵の外の町と同じ時間帯に絵が起きだし、
 日暮れと共に絵の人々が描かれていながら、何処かに帰るのだと実感できるのだろう。



 中でも、私の中で圧巻だったのは沢山の短冊が下がった梅の絵だ。
 金を基調にした絵に、鮮やかな満開の梅の花。
 文字のまだ書かれていないとりどりの短冊のかかるその絵は、
 パッと見ただけでも華やかで本当に素敵だった。
 
 けれど・・・
 正面に行って、照明が変わった瞬間、
 私は梅の木の前に立っていた。
 梅の、匂いを感じないことが
 とても不思議だったけれど
 確かにはっきりと、その梅のあるところに自分がいるのだと
 そう実感した瞬間があった。
 明かりが戻った時、気がつけばそこは東京国立博物館の中で・・・。
 まるで、夜に見る夢の中へ目覚めたまま入り込んでしまったような・・・
 そう、絵に囚われたような、眩暈のするほど不思議な一時だった。



 昔語りによく
 絵から抜け出てくる幽霊や妖怪、虎や犬など様々な話が出てくる。
 そんな話がまことしとやかに話される訳が、
 信じられる理由がよくわかった。



 今の均質に照らす明かりで分かれない。
 生きている絵の世界。
 プライスコレクションは27日まで開催されているそうなので
 良かったら是非体験されてみてください。