夏の楽園 

 時折、蝉の声がする。
 日差しは強いけれど、風は涼しくて、日差しから受けるほどの暑さは感じない。
 塩辛トンボがせわしそうに目の前を横切る。
 少しづつ夕暮れが近づいてきた。



 上り坂の中ほどに缶ボトルのふたが転がっていた。
 車がほとんど来ない道に引かれた白線の上。
 この道には、歩行者でさえほとんど来ない。
 道の左側には赤錆びたフェンスが上へと続く坂道。
 右側にはいつからあるとも知れない白い壁。
 私のほかに坂を上がる人もない。



 道の端から、小さな草花だけが顔を出す。
 
 缶の蓋を右の足で蹴ってみた。
 静かな道にコロコロンと軽やかな音が響いた瞬間、
 道一杯に蛙の声が広がった。
 ゲコゲコ、グーグー・・・
 さっきまで静かな静かな住宅街の道だったのに、突然どこへ来たのかという騒ぎ。
 
 一瞬、蹴ってしまった缶の蓋が何かのスイッチであったのじゃないかと思う。
 蛙達の声が、あまりにタイムリーであったものだから、
 誰かが見ていて録音した蛙の声を響かせたのではないかと思う。
 そんな筈もないのだけれど・・・。
 
 左の赤錆フェンスの先なのだろうか、右の壁の中なのだろうか。
 知らない何処かの敷地の中に蛙の楽園があるのでしょう。



 缶の蓋は20〜30cm転がって、くるりと回ってそこに止まった。
 ゆっくりと坂を上がって、
 缶の蓋の脇を通り過ぎ、
 坂を上って、1つ、2つの角を越えても、
 背中の向こうに蛙の歌が遠く聞こえた。
 
 蛙達の楽園が、これからも何処かあの辺でずうっと続きますように。