サッカー選手は苦しそう

  夜、気がつけば随分と増えた虫の声が我が家を包み込んでいる。
 あちらの窓から穏やかにリー、リーと聞こえる。
 こちらのベランダからは軽やかにビ〜、リ〜と少し違うリズムで。
 じいっと耳を澄ますとリリリリと小刻みに鳴いている声もする。
 夜の中から風がそっと忍び入って、こちらはふわりと欠伸を一つ。
 目を閉じて虫の声を聞いていると、家の中にいることを忘れてしまいそうになる。
 耳を傾けながら、訪れる睡魔に気持ちが良い浮遊感に誘われる。



 先日のブラジル戦。
 日本は負け、他の国々のチームの去就も続々と定まってきている。
 ブラジル戦は寝坊して、生放送で見れたのは後半の最後の部分でしかなかったけれど
 中田選手がばったりと芝生に仰向けになり
 顔を覆っていた姿が心に刺さった。
 川口選手の、中村選手の・・・真っ赤な瞳が画面にはあった。
 「・・・ブラジルには負けたわけですけれども、ご感想は・・・」
 「玉田選手は一本入れましたが・・・」
 試合が終わって聞きたい気持もわかるけれど、聞きたい気持ちもあるけれど
 そんな風に質問しなくても・・・・
 
 試合が終わって真っ赤な目をしている人達が悔しくないわけがない。
 ずっと、離れたくない、まだW杯を終わりたくないというように芝生にいた人が
 悔しい以上の思いを抱いていないはずもない。
 インタビュアーも仕事。
 何も聞かないわけにはいかないけれど・・・・。



 サッカーなんてW杯のときしか観ないミーハー人間だけれども
 選手達の目を真っ赤にさせるほど悔しくて一生懸命なプレーがあったことが良かったと思う。
 オーストラリア戦のときにそれほど悔しがっていた人は少なかったと思うから。
 この3戦、でられなかった控えの選手たちはどんな思いで3戦を見つめていたのか。
 川口さんの素晴らしい働きを楢崎さんはどう見ていたのだろう。
 以前、楢崎さんがそうしていたときに川口さんはどんな思いを抱いて・・・。
 
 試合の大体の時間が終わる。
 ロスタイムがあって、大きな大きなホイッスルの音がフィールドに響く。
 試合終了。
 点がその間に入っても、入らなくてもその時点で試合は終了。
 勝者と敗者が決定する。
 
 そんな時、サッカーというのはカタストロフィの少ないスポーツだと思う。
 勿論、ロスタイムに点が入り「逆転」となれば話は別。
 なんというのか、プレーと時間との力関係が他のスポーツ
 ・・・例えば「野球」のようなスポーツと違うように思う。
 私が不勉強でそう思うだけなのかもしれないけれど。



 サッカーのロスタイムでどんなに興奮するようなボールの取り合いをしていても、
 ホイッスルが鳴った瞬間にそこでぷつりと終わってしまう。
 それまでの闘争心が昇華されずにそこで霧散する。
 そんな試合を観ると私は勝った選手は勝つことで気持ちを発散できても、
 負けた選手は突然道を閉ざされるようで苦しいだろうと思う。
 
 そんな競技を進む道にしたのは選手自身で
 これだけサッカーが世界中で愛されているのはボール1つから始められる手軽さ、
 プレー時間が読み易いからTV業界にとっても都合がいい
 などのことはわかっているのだけれど・・・。
 
 野球の延長などで
 点が入るまで試合をしているのに比べたら、
 敗戦するときのサッカーの試合はどれだけ苦しいだろうかと思う。



 可能性が目の前に見えやすいく自分たち次第なのと。
 可能性が時間で管理されているなかで切り開かなくてはいけないのと。
 
 選手で無いから、実際のところはわからないけれど。
 「こうすればよかった」「ああすればよかった」「こう出来たらよかったのに」
 そんな思いはどんな競技でもあると思うけれど
 終幕を(プレーしながら確実に後何秒という細かな数字もわからない)
 曖昧な時間に管理されるサッカーというのは
 とても苦しいスポーツのように私には思える。