国別の言葉

 窓を開けるとひんやりと湿った空気がゆったりと部屋を満たしていく。
 夜は薄く赤みを帯びた雲で覆われて、
 あるかなしかの風が柔らかな黒土のにおいを運んでくる。



 昼間、
 雨はパラパラと軽やかな音を立てていて、
 屋内へ入るとせせらぎの中にいるような気がした。
 音のしないような梅雨らしい雨の音ではなかったかな?とぼんやり思う。



 昼間は濡れて鮮やかな緑を主張する木々の葉も、今夜は暗がりの中に姿を溶かしきっている。
 家の中が明るすぎるせいだろうか、外を眺めても今は空の色がかろうじて判別できるだけ。
 猫の額のような庭から、小さな虫の声が聞こえる。



 何も見えないということは怖いけれど、なぜかその得体の知れなさが心を落ち着かせる。
 この穏やかな畏れはなんという言葉を当てはめれば良いのだろう。



 一昨日、友人に誘われて長唄を聴きに行った。
 帰りの電車で韓国の人に服装を誉められ、気づけば言葉の話になっていた。
  
 一体なんでそんな話になったのか・・・正直自分でもよくわからない。
 3年間の兵役制度の問題で、
 「徴兵されたら別れるのが男の義務だ!」
 「いやそうじゃない・・」
 と話していたのが何故だかどうしてかそちらの方へ。



 「韓国語はやっぱり怒っているように感じる?」
 「ちょっとね、でも関西弁に似てるんじゃない?」
 と、段々に話が進むうち、
 彼らは
 「日本語は冷たい」「考えていることは一緒なのに・・・。」
 「愛してるとか、好きとか、韓国語に比べると軽い」と言い出した。
 「同じことを考えているのに、何でだろう」と不思議がる。
 
 なんとなく、その気持ちは分かる。
 でも、
 「標準語として意味を伝えるための日本語が今の日本語だから
 感情を伝える為の方言ならば、もっと感情のこもった言葉になるのじゃないか。
 意思を伝えるために作られた言葉だから、それは幾らか仕方ないのでは・・・。」
 と、日本代表として弁解をする。



 「でも、言葉を使うのは同じ人間じゃないか」と言うのに
 「言語が違えば言葉のニュアンスが違うじゃない」と返し、
 「愛してると、サランヘヨと、ILOVE YOU は同じかしら?」と逆質問。
 「同じ人間だから同じじゃないの?」と言って右の彼は首をかしげた。
 
 そうかしら?本当にそう思う?



 「訳なんて、それぞれの国の言葉で似ているものを当てはめているだけ。
 込められる想いは、言葉によって違うのじゃない?
 文化、言語を学ぶ毎にそれぞれの国のニュアンスがある言葉の意味があるわけよね。
 愛してると、サランヘヨと、ILOVE YOU、私は全部違う意味だと思っているわ。
 サランヘヨとかILOVE YOUの言葉を当てはめた瞬間に、
 その言葉の枠に縛られてしまうのじゃないかしら。
 元の感情は愛してるとサランヘヨの間だったりするかもしれないって思わない?」
 と一気呵成に言い募ると



 「確かに」と、左の人が言い
 「う〜ん」と、右の人が悩む。
 そうして右の人は
 「僕はさ、世界中みんな同じ人間だからおんなじことを思っていると思うんだよね」
 と腕を組みながら考えている。
 それには同感。
 うんうんと頷きながら
 「感情までは一緒なんだけど、それを言葉に落とすと言葉によって違うものになる気がしない?」
 「それぞれの言葉で表せる感情って全部違うのじゃないかな」
 と聞くと、彼は一層深い悩みの世界へ入ってしまった。
 左の人が、そんな彼を見てけらけらと笑った。
 
 何やかやと話し続けてふと気がつけば降り過ごし・・・
 夜中0時若干手前。
 初めて会った人たちと路線一本分語ってしまった。
 ちょっと振り返ってみたけれど
 これって初対面でする話でも、行きずりでする話でもなかったような。



 世の中色んな人たちがいる。
 様々な言語があって、様々に思いを抱く人がいる。
 どれだけの言葉、どれだけの語彙力があったなら
 満足して十全に自分の思いを相手に伝えられていると思えるのかな。