横浜メリーを観ましたか? 

 車が通ると、ギラリと道路が光る。
 車のライトが向こうへ消えると、
 街灯に照らされてぬめりとした道路が息づくようにそこに在る。
 雨の日の道路はまるで生き物のようだといつも思う。

 先日、「横浜メリー」という映画に行った。
 9時か21時というお客に優しくない上映時間に文句を言いながら。

 白塗りの顔で、白いレースの服を纏い「メリーさん」と呼ばれた女性がいた。
 昔、米兵の娼婦をしていたといわれる彼女は、横浜で長く暮らしていた。
 家がないという意味では、ホームレスと言われるのかもしれない。
 けれど彼女は
 いつも大きな荷物を抱え、前かがみだけれど、背筋をしゃんと伸ばして。
 そのプライドで自分を捨てることはしなかった。

 全身白ずくめの彼女は、一種の都市伝説でもあったらしい。
 
 横浜メリーはドキュメンタリー映画だけれど、
 メリーさん本人はあまり出てこない。
 ただドキュメンタリーと言うには、
 作り手の作為を感じる映像、演出も多く、ドキュメンタリーだと言い切るのは抵抗がある。
 作為はあるけれど押し付けがましいというほどはない。
 よくここまで作ったと言いたくなるほど、元の素材は多くない。

 けれど、音楽、フィルムで撮られた映像の妙、
 妖しくも魅力的なメリーさんというキャラクターの魅力。
 メリーさんの仲良しであった元次郎さんという方の悟られたような包容力のある人間性。
 それらが上手く組み合わさってとても素敵なものに仕上がっている。  
 点数をつけるなら68から73を行ったり来たり。 
 観る価値のある映画だ。

 メリーさんの周囲にいた人々、
 当時の賑やかな伊勢佐木町周辺を知る人々へのインタビューを中心に作られているこの映画、
 一緒に見た友人と私の感想は大違い。

 友人は
 「周りの人の姿から人間『メリーさん』の姿が生々しく浮かびあがる」と言い、
 私は
 「本当に『メリー』さんという人はいたのかな?
  座敷童か妖精みたいに現実感がないように感じた」と言った。

 同じ物を見て、全く違うことを思った。
 良い映画という認識は同じなのに、核となるそこが全く違う。

 トーキーの時代を思い出すような高い、早口で彼女は話す。
 同情は受けず、良いものは身銭を払って手に入れる。
 誰もが「とてもプライドの高い人だった」と言う。
 彼女の矜持の高さは、並ではなかった。

 横浜で劇場主をやっていた方は
 当時を振り返りこんな風に言った。
 「どこで手に入れたのか、ちゃんとチケットを持っているんですよ・・・・
 それでね、彼女がきた舞台は必ず成功したんですよ」と。
 
 不思議な気がした。
 都市伝説だったという彼女。
 映像として彼女を追っていても、まるで御伽噺のようなイメージが付きまとう。
 本当にこんな人がいたのだろうか。
 まるで、どこかがずれた万華鏡の中に入り込んだような気がする。
 ずれた歴史の狭間に忍び込んで覗き見しているようなそんな気になる。
 
 人の世界と御伽噺の境目にいた人。
 人として精一杯の矜持を持って生きた彼女の面影を私は映画から受け取って焼き付ける。
 それでも
 彼女自身の映像がほんの少ししかないからか、
 私の中での輪郭がぶれて、
 彼女が本当に生身の人間だったのかと疑問が消えない。
 
 この間、お知り合いの方々と話している時、
 この映画を観に行った話をした。
 4人中、2人の人が彼女の姿を観たことがあった。
 内一人は、
 学生時代、彼女と話したことがあると言った。
 
 もう40代にはなる彼が学生だった頃、
 山下公園で彼女に会った。
 
 「凄く頭がよくて、打てば響くような人でしたよ。
 やっぱり白塗りでね、存在感があって・・・とても偉そうでしたよ。
 『あなた、コーヒー買ってきて頂戴』なんて初対面の僕に命令するんですもん」
 と、彼は笑いながら語った。
 とても懐かしくて大切な話をするように。

 映画とはまた違うメリーさんの話。
 もう一度観に行こうかな。そんな風に思った。