謝るということ

 病人が出たとかで、電車が遅れた。
 ホームに人が溢れる。
 アナウンスは「急病人の治療のため遅れております。申し訳ない」と、繰り返す。
 電車が動き出した後も
 駅へ着くたび同じことを何度も何度も繰り返す。
 「申し訳ございません」「申し訳ございません」
 
 電車が遅れることで影響が無いとは言わない。
 迷惑が全く無いとは言わない。
 ホームから零れそうなほどに密集した人々が
 電車の中に縒り合わされるように詰め込まれる。
 ホーム上でも、お互いに足を動かすたびに靴を踏み合うような混雑なのだ。
 雪崩れ込んだ電車の中で、
 潰されているお年寄りや子供にも、
 席を譲るために来てもらうことさえ出来ない。
 
 具合が悪い方がいたのだ。
 そればっかりはしかたない。
 でも、「申し訳ない」の言葉の下で私は思う。
 「具合の悪い方はどうされたのか」と。
 
 きっちりと決めるべきダイヤを乱し、人命尊重。
 それは人としてしたい行動だし、
 確かにいくらか負担はあるけれどやってほしいことではある。
 でも、、、
 これも個人情報保護なのでしょうか?
 「具合が悪い方がいて遅れた・・」というなら
 是非
 「病院へ行かれた」だとか「持ち直した」だとか
 「別室で休んでいる」とか・・・・
 そんな情報が欲しいと私は思う。

 もちろん、可能な限りでいい。
 電車が遅れていいとは言わないものの
 どうせならばそうしたことで、どうなったのか。
 そんな情報を欲しがる私は欲張りだろうか。
 遅れたことは仕方ない。
 でも、遅れたことで、その時間よりも大切なものが救われたのだと思いたい。

 こんなの、凄く傲慢な思いじゃないかと思う。
 人としてあるべきことに
 御礼、見返りを求めているのじゃないかと言われたら本当にその通り。
 けれど・・・
 私は考える。
 あのアナウンスが
 「病気の方へがいて〜。けれども今は・・・で病院へ。
 ダイヤが乱れて申し訳ない、ご協力ありがとうございます。」
 というような趣旨だったらもっと良かったのにと。

 何か事故があったとき、
 災害が起こったとき
 不測の事態があったとき。
 
 過ちを認めるのは大切。
 でも、その過ちに対処するために動いていた見えない人がいる。
 何かが起こった時、ただ謝るだけでない対応をしてくれると誠実さを一層感じる。
 そう対応してくださるといくらか「気持ちよく我慢をしてもらえる」ように思う。
 
 最近の世の中は謝る言葉ばかりで
 少し息苦しい。
 
 謝るという行為は
 自分の否を認め、相手に対して頭を下げることだけれど、
 時によりけりで
 相手に自分を押し付けることにもなりかねない。
 反省ではなく、自分の決めたルールを破った自己満足に謝ることも多々あるからだ。

 別に電車のアナウンスがそうだというわけではないけれど、
 そんなことを思った。

 倒れていたという人はどうなったのだろう・・・