ちょっと昔を振り返る

 窓を開けると、虫の声が聞こえる。
 夏の盛りほど華やかなレパートリーはないけれど。
 ジーと連なる音、波に乗るようなリズムで鈴の音をさせるもの。
 まだとても小さな音ではあるけれど
 窓の外から確かにちゃんとこちらの耳までやってくる。
 音以上、声未満、声量40%。
 季節のはじまりの音がする。

 先日、
 1960〜70年代の日本を調べていると書いた。
 30代の友人に資料がないと嘆くと
 そんなに変わらないだろうと呆れられたが
 大きく違う。

 高度成長というけれど、
 今の時代の流れが、時代の中にいる人の実感はともかく
 大学生の成長だとすると
 当時の成長は小学生。
 戦争で全部なくなって
 少し調子を取り戻し
 少しづつ溜めた力を解放した頃。

 小学生の成長は早い。
 高校生から大学生がそんなに変わらなくても
 小学生は5頭身から6〜7頭身まで成長している。

 写真を見せると彼はポカンと口を開けた。
 「これさ、ほんとに東京?」
 平屋ばかりの六本木でも、
 土埃が舞う新宿駅
 今に繋がる一つの風景。

 映像の力ってやっぱり凄い。
 頭で考えているよりも歴然と相手に事実の1つを突きつける。
 なんだかんだと
 知ってる場所の知らない場所を指し示しながら
 話はだんだん昔話へ。
 今はない、自分の知ってる昔話へ。

 私達は
 黒電話を知っている。
 公園にはボットンのトイレがあった。
 電話線は必ずあったし、
 電話はジーコロとまわした。
 プッシュホンに変わったばかりの公衆電話の銀のボタンを覚えてる。
 電気のガス台なんて見たことは殆どなかったし、
 電子レンジは今よりもっとアバウトだった。
 TVは当然薄くもないし、今ほどそんな大きくもない。
 和室のない家は少なかったし、
 垣根のある家はもっと多かった。
 駄菓子屋さんがいっぱいあった。
 文房具のお店も、肉屋も魚屋も・・・スーパーはあったけれどもコンビニはなかった。
 塾にいっている子もいたし、行っていない子もいた。
 公立で海外へ行ったと日記に書いたらいじめられた。
 みんなランドセルをしょっていた。
 親が送り迎えに来ることはまずなくて、よく道草をした。
 トイレを流すときは紐を引いた。
 水は必ず蛇口をひねった。
 もっと、普段着と余所行きの区別がしっかりしていた。
 惣菜屋はあったのかもしれないけれど、
 冷凍食品なんて殆どなかった。
 
 私たちの少ない経験の中でも
 これだけ変わった。
 センサーのトイレでは、水がなぜ流れてくるのかが分らないのでは?
 電話線のない電話って、一体どんな原理で出来ているのか。
 仕組みと結果のラインが、便利になってどんどん分断されてきていると思う。
 
 これから生まれる子供達が大人になって
 何処かへ行った時、
 蛇口の下で手を広げたまま
 捻るという行動が必要なのもわからないまま
 水道が故障だと思うような時代が来たら・・・・
 
 知らないことは仕方ないと思うけど
 蛇口が捻られることで水を堰き止めている。
 その事実が分らないような世代が出来ていくとしたなら・・・
 それはとっても
 情けなくって
 嫌だなぁ