蝙蝠達の恋の夜

しばらく前から、
 ネットや新聞でシュバイスマン・ワハマン第三彗星という
 舌を噛みそうな名の彗星の記事が気になっていた。
 発見後、40年近く行方不明だったという曰くつきの彗星。
 その曰くはともかく、単なる流れ星ではない彗星は見たことが無い。
 昔、ハレー彗星が来たときは凄かったと小さい頃に聞いてから
 何とはなしに彗星を見てみたかった。
 
 「5月上旬の午後8時頃、東北東の空に見える」
 そんな記事を見て、時計を見ると20時7分。

 ベランダの窓を開けると、
 昼間の暖かな残滓が残る夜風が中に吹き抜けていく。
 と、パサパサっと紙をこすり合せるような音がした。
 パシっと薄い単行本を床へ落としたような音がした。
 目の前を、何かが通り過ぎた。
 反射的にたたらを踏んで後ろへ下がった。
 
 何事かと早くなった鼓動を抑えながら良く見ると
 黒いものがすさまじい勢いで何度も何度も前をよぎる。
 ぶつかって、離れて、離れて、ぶつかる。
 黒いものが二つ。
 ぶつかったとき、すれ違うとき、
 パサパサと紙が擦れる様な音が立つのだ。
 
 体長20cm〜25cm程の蝙蝠が目で追えない程早く
 くるくるくるくると
 隣家と我が家の間を飛び回る。
 今、右へ行ったと思ったらもう左、左上方で宙返りして、
 一秒後には目の前を通ってまた右へ。
 目まぐるしいなんてものじゃない。
 
 ハタハタと羽を振るかと思えば、
 殆ど羽ばたかずに、すさまじい勢いで上へ下へと滑空する。
 お互いの後を追うかと思えば、突然相手と対称の方向へ行き、また交差する。
 蝙蝠は、超音波を出すから物にぶつかることはないと習ったけれど
 隣の壁にぶつかって、パシッと軽い音を立てる。
 たまに痛かったのか小さくキュウっと鳴く。
 
 前、夏に虫を食べているところを見たのと同じで
 食事の光景かと思いきや、どうも怪しい。

 片方が片方を追いかける。
 追われるほうはどうも本気で逃げてる様子。
 いくら蝙蝠がもともと素早く飛ぶと言っても、
 これほど早くちゃ食べることも出来ないのではないかしら?
 壁にぶつかってしまうほど、落ち着きがない、
 注意力がなくなるのはテリトリーを害されたから?
 それとも恋の季節なのかしら?
 
 ほとんど羽ばたきの音もさせずに、2羽の蝙蝠は飛び回る。
 あまりの速さに目が離せない。
 全く同じ経路を辿って宙返り。
 対照的に丸を描いて錐揉み状に上に上がって、下がって
 片方が前になって、後ろになる。
 どんどんスピードが速くなって
 後ろの方が今にも追いつきそうになる。
 前の蝙蝠は慌てて側の壁にしがみつく。
 相手が自分の気配を見失って、壁から少し離れると
 自分はここだと誇示するように壁から飛び立つ。

 前を行く蝙蝠が若干小さいせいか、
 後ろの蝙蝠が追いつく速さ、
 前の蝙蝠との間隔の詰め方がどんどんどんどん早くなる。
 パシパシと、お互いがぶつかる音も増えてきた。
 興奮しすぎて、壁に掴まれずぶつかる回数も増えてきた。
 
 すさまじく早い二つの黒が、半分の形の朧月を横切る。
 遠くに見える星の周りをくるりと回って
 お隣の家の雨樋にぶつかって二手に分かれて
 私の前をまたよぎる。
 
 これはどう考えても彼らの恋の季節に違いない。
 そうでなければなんなのだろう。
 右に左に動く彼らを見続けていたら
 だんだんクラリと目が回る。

 彗星は、探しても、家々に阻まれて目に入らない。
 けれど、彗星よりも凄いものを見れたそんな気がして
 私は家の中に戻った。
 40分近く見続けていてなんだけれど、
 恋愛絶頂期の方々を見続けてるのは無粋な気がして・・・。

 彗星を見たいと思わなければ
 気づけなかった。
 蝙蝠たちのひそやかな恋の夜。
 
 人間たちの知らない間も
 恋は葉の裏、夜の中、
 色んな所で生まれている。