美味しい静けさ

窓を開けると、少し冷たい風が触れる。
 柔らかな日差しにふんわりと撫でられる。
 本日の染井吉野は3部咲き。
 来週あたりのお花見は、
 ちょうど花吹雪が綺麗な頃かもしれない。
 ぼんやりと日向にいると
 体の中からじわじわと暖かくなってきて、とろんとしてくる。
 
 こんな気分のときは、
 我が家に縁側が無いのが残念で
 自分が猫でないのが残念になる。
 
 目の前で猫が、塀の上で丸くなっている。
 家と家の境界線の十字路でうずくまっている。
 気持ちよさそうにお腹が上下にゆっくりと動く。
 ひげが風に遊ばれるのに逆らうようにチチッと動いた。
 その目の前を、赤いてんとう虫が飛んでいった。
 何処かから水仙の香りがする。

 台所から甘い匂いがする。
 家に入ると、蒸篭がふつふつと音を立てている。
 「ふつふつ」というのはやっぱり「沸沸」なのだなと思いながら、
 小さな泡状の空気が黒い中華鍋に張られた水の中で水面に立ち上がってくる様子を思う。
 
 蒸されているのはシンシアさんだ。
 甘い匂いがふんわりと辺りに漂っている。
 薬缶が沸騰しているときの音もいいけれど、
 蒸篭の音もやさしくてほっとする。

 ぼぅっと音を聞いていたら一瞬蒸篭の音が静かになった。
 甘い香りが隠しようも無く周囲に立ち込める。
 母が、小さく声を上げた。
 
 「見てみて!」
 ぱっくりと割られたシンシアさんの黄金色の断面に思わずドキリとした。
 真っ白な湯気が断面にまとわりつくようにして上に上がっていく。
 母が、ぱくりと食べた。
 「あま〜い」と
 にっこりと笑ってまた、ぱくり。
 
 んん?見せておきながら・・・私には?
 大慌てで私もシンシアさんの下へ行く。
 
 蒸篭を開けると甘い湯気に襲われる。
 ぷっつりと竹串をさして固さを確認。
 シンシアさんを取り出すと、
 竹串をさした穴からプツプツと水が盛り上がって滴り落ちていく。
 瑞々しいのだ。
 
 ぱっくりと二つに割ると幸せな湯気がぽわっと上がる。
 大急ぎで私もぱくり。
 「あま〜い!」
 お砂糖をかけたのじゃないかと思うほど
 お芋が甘い。
 皮まで甘い。
 喉の中を幸せが通り抜けてく。
 
 「好いお芋とめぐりあったね」と言いあうと
 しばらく我が家は
 シンシアさんを楽しむ音と甘い香りに満たされた。
 
 あんまり美味しいのでおしゃべりも消えてしまった。
 美味しいものの力って怖い。