サクラサケ!

 ここしばらく、
 お日様の光で温められてきたアスファルトが濡れている。
 春と冬とが綱引きをしている最後の時に立ち会っているような気がする。
 春に満たされていた空気の中に、また冬の気配が感じられる。
 暖かくなり、寒くなり、
 段々と季節は姿を変えてゆく。

 電車の中は雨の匂いがする。
 エナメルのような服を着た人と擦れ違ったら、
 ぺたりとくっつくような気がする。
 隣の人の傘が足にヒタリとつくと、何かが下へ滑り落ちていった。
 雨の日は仕方ない。
 濡れた人が横に座れば、濡れてしまうのは当然のこと。
 
 仕方ないけど、傘はきちんとたたんで欲しい。
 
 電車を見渡すと傘の後始末をきちんとしない人が増えた気がする。
 網棚の上に濡れた傘をそのまま置くのもちょっと御遠慮したいもの。
 せっかく雨から避難したのに、網棚からの雨では傘もさせない。
 電車で読書、ページに雨垂れでは困りもの。
 おちおち眠ることも出来ない。
 
 電車の中は、物音に満ちている。
 本のページをめくる人、
 音楽を聞きながら足で拍子を取っている人
 つまらなそうに勉強している人に、
 演劇(?)の台本を小さな声で呟いている人。
 濡れた床の上を靴が滑る音。
 コツコツと、傘の感触を確かめる人。
 
 雨の日独特の匂いを感じながらふと、
 一昨日の人たちはどうなったかなと考える。
 
 「もうだめだよぉ〜」と、突然悲壮な声がした。
 髪の毛をツンツンに立てた子と、もう少し落ち着いた髪形をした子が乗り込んできた。
 どやどやと乗り込んできた10代後半の集団の中の2人組。
 ちゃんとお洒落をしているけれど、何とはなしに東京の人ではなさげ。
 
 赤いチェックのシャツを着た髪ツンツンの彼が
 「もう浪人。絶対、浪人。 これからの一年て凄くいい経験になるよ。
  浪人って人生にとってもの凄い価値のある1年なんだよ」
 と、まるで浪人経験があるような口ぶりで言う。
  「でもさぁ、あの3問目ないよね」と、白いシャツを着たもう1人。
 赤シャツの彼はそれに答えず、
 「これからの1年て大切だよな」と、前向きな発言を繰り返す。
 「浪人かぁ〜、親がなぁ・・・」と言って白シャツの彼は溜息を1つして、
 「やっぱりあの問題は・・・」と、繰り返す。
 赤シャツの彼も「親だよな」と、呟いて小さく溜息を1つ。
 「何とかなるって」と、にやっと笑った。
 そして「そういえばさ、あそこのトイレの扉、本当に壊れてた」
 と、一言。
 問題の難しさに鬱々としていた白シャツ君も、
 その言葉に思わず赤シャツ君をキョトンと見つめてケラケラと笑い出した。
 「本当に?」
 「ほんと、ほんと、あの本嘘じゃなかった」
 「うわぁ〜、扉ないのかぁ・・・」
 「扉のないトイレのある大学なんて、いいよ、もう」
 「だね、もういいよ」
 
 どこの大学かはわからないけど、その大学のトイレの扉が壊れているのは有名らしい。
 さっきまで暗かった彼らの周りが
 ゲラゲラ笑ってパッと明るくなった。
 あの日が試験日だとしたら、昨日・今日には合格発表。
 かなり前向きの赤シャツ君と、ちょっぴり悔いていた白シャツ君の結果が
 彼らの予想から外れた嬉しいものだといいな。
 
 この雨が、受験生達のうれし涙でありますように