ひねもすという生き物

昨日の天気で温まった地熱のせいもあるのかどうか、
 昨日より今日が暖かい。
 まだ軽いコートが必要な陽気だけど
 歩くたびにくすくすと笑いたくなる。
 コートも早く冬から春へ。
 
 天気予報は、今日より明日が暖かだと言う。
 ぬくぬく、ぬくぬく。
 春一番の昨日と違って風もない。
 
 ちょっと
 ぼんやりとしていると
 ぬくぬくした春の気配に取り憑かれて
 ぽかりぽかりと欠伸が出てきてしまう。
 
  
 春は
 うとうと注意報が発令される。
 
 春と言えば昔、
 蕪村の「春の海 ひねもす のたりのたりかな」
 という歌を習った。
 濁音のひとつもないやさしい歌を、私は何故か
 「春の湖 ひねもす のたりくたりかな」
 と覚えこんでいた。
 「ひねもす」=「終日」を知らなかった頃。
 
 頭の中では
 春の陽射しに温められた湖で
 アメーバーのような不思議な生物が気怠げにのたりくたりと泳いでいた。

 海と湖。
 読みようによってはどちらも「うみ」になるからともかくとして、
 自分の歌から
 「ひねもす」という生物を連想されたと知ったなら
 蕪村は一体どう思ったかしら。
 
 ホホホと笑ってくれたでしょうか?
 それとも困った顔をされたでしょうか?
 
 知らないということは時々、
 想像をポンと飛躍させることがある。
 
 いつだったか
 何人かで話していたとき
 そんな思い込みの話になった。
 
 真っ赤なポストの下に地下トンネルがあって、
 色んな家のポストに通じていると思っていたという話から。
 他の国は100m位しか離れてないと思っていたとか。
 上に行くエレベーターに乗らず、
下向きだけに乗っていたら背が伸びると思っていたとか。
 切り身という魚と、魚型の魚がいると思っていたとか。
 500円あればお城が買えると思っていたとか。
 
 理由を聞くと
 その気持ち、わからなくも無いような・・・
 いやいや、そうでもないような・・・
 
 年を重ね、経験を積むうちに
 段々と思い込みが間違っているのはわかってはくるのだけれど
 どうにも、最初に考えた物を捨て切れない。
 
 なんやかやと言い訳しながら
 「やっぱり、そう思うのも仕方ないでしょ」
 とみんな
 同意を求める。拘泥をする。
 わかっているけど納得いかないという感じ。

 小さい頃に「こうじゃないかな」と思ったことは
 中々忘れられるものじゃない。
 
 私もやはり、
 蕪村さんには申し訳ないけれど
 あの歌を思うたび
 ひねもすという生き物が、湖をのたりと浮いているのが目に浮かぶ。