自分捜し

初めてパソコンに触った時。
 ウィンドウズなんて聞いたこともなくて、NECの98シリーズを使っていた。
 家に帰れば帰ったで、富士通ワープロ、オアシスシリーズを使っていた。
 CD−Rなんて聞いたことも無いような時代。
 10年と少し前のこと。

 インターネットが電話回線でもイライラしなくなった頃
 初めてネットで自分探しをした。

 インターネットが市民権を持った頃のこと。
 ありがちな名前とありがちな苗字。
 何もわからないほど多くのことを含んだネットの世界。
 自分では忘れてしまった自分の断片が見つかるだろうか。
 自分ではないけれど、自分と同じ名前の持ち主に当るだろうか。
 宝探しのような気分で自分を捜した。

 最初、自分の名前はネットに無かった。
 上だけ、下だけは沢山あっても、上下揃いは見当たらなかった。
 検索結果0。
 
 そのうち、名前がポコっと出てくるようになった。
 日本画家の人、NPOの人、馬術の選手に、お医者さん、Jrの水泳選手・・・
 自分が少し関わっていたキャンプの記録。
 インターネットの中には様々な人の過去がふわふわと漂っている。
 
 自分と同じ名前の人が、一生懸命頑張っている。
 同じ名前だからなんだって訳じゃないけれど
 もしかしたら、なっていたかもしれない自分を眺めているような気がする。
 
 SFの世界に、平行世界という考え方がある。
 今の世界とどこか、ちょっと違う次元の世界。
 この世界が右に曲がったところを、左に曲がった世界が、
 この世界の脇にあるという考え方。
 
 もしもあの時こうしていたら・・・
 もしもその時こうだったなら・・・・

 今までの選択は今を作ってきたものだから、
 大変なことがあっても、
 出会えた人や物がとても大切で素敵なものだと思うから
 間違っていたとは思えない。
 間違っていても、その時間は取り替えられない。
 今を作ったものだから。
 
 そんな風に思うのだけど
 もしもの自分をちょっと見たいと思うのも本当のこと。
 だからインターネットで同じ名前をこそっと捜してみたりする。
 30代の自分、10代の自分、60を超えている自分、20代の自分、
 そしてまだ一桁の自分。
 
 会ってみたいような気がする。
 決して会いたくないような気がする。
 時が経つたび、インターネットの中に同じ名前の情報が膨らんでいく。
 
 ネットの中で時々自分を捜してる。