池を眺めて

 しばらく引いていた風邪が、やっと体から出て行った。
 苦しかった空咳のような咳も、もうほとんど出てくることが無い。
 寒い中を歩いていると思い出したように出るのだけれど、
 そんな咳は私の中で猛威を振るっていた風邪の小さな小さな最後の足掻きのようで
 「最後までよく頑張るなぁ」とこそ思うけれど、先日までの悔しさは無い。

 しばらく御無沙汰だった公園へ行くと、
 池には大きな氷の板が幾枚も幾枚も漂っていた。
 昼を過ぎてまだ氷があるのかと眺めていると、
 すぐ目の前で2羽の鴨が大きな氷の板の真ん中を横切っていった。
 水音に消えそうな位に小さく、けれど確かにパリパリと音を立てながら
 鴨は氷の中に一筋の道を作っていった。
 
 いくらふかふかの羽毛があったって
 いくら水を弾く羽であったって
 鴨も寒いに違いないのに。
 大きく胸を張って泳いでいった。
 
 ふと、鴨の息が気になった。
 私の息は明らかに白い。
 鴨の息はどうだろう。
 嘴に鼻があるのは確かだけれど、
 まだ鴨の嘴から白い息が出ているのは見たことが無い。
 冷たい水に浸かるから、息は白く染まるほど温かくないかもしれない。
 
 よく見ようと身を乗り出した時、どこからか尾長の声がした。
 声がしたあたりを見ると、赤い椿の枝が揺れていた。
 しばらく声の主を捜した後に目を池に戻すと、
 鴨達はもう大きな氷の向こうの水面に嘴をつけて夢中で動かしていた。
 氷の中で相手を先導していた鴨は男だったのか女だったのか。
 なんとなくそんなことが気になって、じっと鴨達の食事風景を見ていた。

 池では一抱えほどの大きさの氷が、
 鴨達が作る小さな波でぶつかり合って
 透き通るような音を立てていた。
 冬の、とても好きな音の一つ。

 日の出の時は、それに加えて氷の蒸発する音や、靄や、光に、
 鳥たちの目覚めのさえずりと飛び立ちがある。
 昼間は小さな音しか立てない氷たちも、
 突然の温度変化にガチャガチャ、チリンと大きな音でぶつかり合うのだ。
 森閑とした冬の夜が突然、妖精の玩具箱をひっくり返したように華やかになる。
 池が一番賑やかなのは、この初春のシーズン。

 今年は何度、臨めるだろう。
 小さな空咳が2回、空気の色を白くした。
 冷たくて少し痛くなった鼻で深呼吸して
 喉飴をひとつ口の中で転がした。
 
 口の中にスースーするオレンジの味。
 袖口から入り込んでこようとする冷たい風。
 
 明日、東京の天気予報は雨か雪。
 
 雪害で孤立している方々の元へ
 明日は道が出来ればいいけど。
 どうぞ雪崩など起きませんように。