寒さの中で

 夜になると、吐く息がたまに色づく。
 寒さを感じる機会が日毎に増えて、寒いのが日常になってきた。
 庭から上がる虫の声が、少し減ったように思うのは気のせいだろうか。
 
 今朝、駅で蝉の声を聞いた。
 こおろぎたちの声に混ざって聞こえてくる一匹の蝉の声は、
 もういない夏の仲間たちを呼んでいた。
 彼が出会うはずだった相手はもういない。
 この寒さの中、彼はどこまで啼いていくのだろう。

 蝉の目がどれだけの色や物を判断できるのかはわからないけれど、
 最近羽化したのだったら、
 夏草の鮮やかな緑や、華やぐ花の色彩を知らずに
 いつか地面に落ちるのだと思う。
 季節をずらして生まれてくるものがいるのは、
 種としての生存本能の1つなのだと思うのだけど、
 夏を知らずに啼く蝉は、なんだかとても哀れだ。
 
 今、関西では30度近い暖かな気候がまだ続いているらしい。
 東京者としてはどうも納得がいかない。
 同じ陸続きの国に住んでいるのに、こちらではここ1週間の間に
 マフラーをする人やコートを着る人がぐんぐん増えてきている。
 たまに、半そでを着ている人を見かけるけれど、
 夕方には寒そうに肩をすぼめて足早に歩いている。
 日本も小さいわりに大きい。
  
 そういえば今日、地震があった。
 ついこの間もあったばかりなので、揺れると大きな地震の予兆ではないか?
 どこかで大きな地震があった余震ではないかと、内心どきりとしてしまう。
 まだ真冬のようではないから、室内では薄着。
 つい、いつでも羽織れる暖かな物はないだろうかと目が捜してしまう。
 
 他の人に見られたらちょっと気まずいけれど、着心地がよくて暖かい羽織ものといえば半纏だ。
 あれならば上から何が落ちてきても随分衝撃も緩和してくれる筈だし、
 寝る時に肩周りに置けば、安眠も保証されたようなもの。
 寒がりの私の、季節限定の心の友だ。
 けれど昨年までのものはお役御免にしてしまっている。
 近いうちに買いに行かなくてはいけない。
 パキスタンほどの寒さではないけれど、
 何の準備もなくこの寒空の下で夜明かしをすればやわな私は確実に風邪を引いてしまう。
 
 昼は35度以上、夜は10度以下。
 パキスタンにいる方たちは今そんな過酷な条件の下にいる。
 日本の夜も寒いけれど、あちらはもっと寒い。
 援助がしきれないそうで、物資もろくに届いていないそうだから
 ろくに食事が出来ていないはずだ。
 食事が出来なければ、必然的にエネルギーの消耗も激しくなるし、
 体温も低下する。
 ただ朝と晩の気温変化についていくということ自体、体に大きな負担を掛けている。
 今日も少し募金をしたけれど、ちょっとでもそれでよい方向に向かってくれればいいと
 心から願われてなりません。

 昨日、あるニュース番組でパキスタンの惨状が映しだされていた。
 吹きさらしのテントの中に、ぎゅうぎゅうになって座り込む子供達。
 崩れ落ちた屋根と瓦礫となった家の残骸でできた70cmほどの隙間に
 身を寄せ合い、しゃがみこむ大人たち。
 今また崩れてもおかしくないようなところで、
 厚さ6〜7mmの毛布や布を体に巻きつけてじっと座っている。

 見ていたら、あることに気がついた。
 
 薄いスープのような物を、(恐らく炊き出し用に)作っている人以外、
 誰も立っている人がいないのだ。
 暑くて寒いパキスタン被災地、誰も彼もが疲弊して、
 無意識のうちにぎりぎりの体力を温存しているのだと思う。
 あそこの人達は、もう限界に近いのだ。
 
 あんなに立っている人がいない被災地の映像を、私ははじめて見たように思う。
 援助物資があっても、届けるのがとても大変なのは知っている。
 けれど、あの人たちが動けるうちに、
 少しでも早く、多くの物が届いて欲しい。
 彼らの所には今、風を遮る壁さえない。
 きっと作ろうにも体が限界で働けないのじゃないかと思う。
 私たちが行けない分、行ってくださっている方たちは頑張ってくれているのだと思う。
 それでも、少しでも早くと願わずにはいられない。