気持ちがよい人

 昨日から、
 また時間がゆったりと流れるようになった。
 
 日々をみっちりと使っていた後に普段の時間に戻ると、
 1日はこんなに長かったのかと不思議な感動を覚えてしまう。
 
 昨日、雨がばらばらと小岩が落ちてくるような音をさせたこと。
 ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら歩くこと。
 少しづつ色が染まってきた桜の葉が、目の前にふっと落ちてくること。
 
 そんな事が、
 次々に体にしみこむように広がって自分が潤っていくような気がする。


 今日、鈍行列車に乗って出かけた。
 日曜日のお昼時。
 電車の中には殆ど人影がない。
 一番混むはずの先頭車両も、座席の端と端にぽつりぽつりと4人がいるだけ。

 差し込む柔らかな光の中で、ぱらりぱらりとページをめくる人、
 じっと下を向いて携帯にカチカチと文字を打ち込んでいる人、
 電車の振動にゆらゆらと頭の動きを重ねている人、
 目深に帽子をかぶる人。
 
 電車は、第一車両にそんな人たちを乗せ、
 秋色に変わっていく日々を窓から披露しながらゴトンゴトンと揺れていく。
 一駅、二駅、三駅過ぎても、車両の中は変わらない。
 誰も立たない、誰もこない。
 
 変化と言えば
 せいぜい
 向かいの人の帽子に止まった虫がぶぅんと飛んで窓と格闘し、
 人間みたいに扉から降りていったぐらい。
 
 ぼんやりと外を眺めながら、また幾つかの駅を過ごした時、
 ふと、やけに長い停車時間に気がついた。
 事故があったわけでもないのに
 なかなか電車が動かない。

 目をやると、
 すぐ脇の扉からゆっくりと車内に入って来く老婦人がいた。
 ホッソリとした手でギュッと杖の頭を握って、
 一歩づつ確実にと頑張って歩いていた。
 
 電車は彼女が入るのを待っていた。
 
 気づいてちょっと嬉しくなった。

 電車の外で婦人をエスコートしていた駅員さんが手を振り、扉が閉まった。
 1秒、2秒・・
 扉は閉じたのに、いまだ電車は動かない。

 不思議に思って
 ガラスの向こうの運転手さんを見ると・・・
 彼は目の前に置いた小さな鏡で、老婦人をじっと見つめていた。
 
 彼女の歩みは少し危ない。
 けれど、手を貸すには距離が短い。

 少しふらつきながら彼女が座ると、
 運転手さんはにっこり笑って発車した。
 
 そのとき、ダイヤがどうだったのかはわからない。
 もしかしたら乱れていたかもしれないし、そうでなかったのかもしれない。

 正直なところまるでわからない。
 
 電車の運転手がそうして待つのは、職業的にはいただけない所もあるのだと思う。
 こまこまと正確に駅に着くのが仕事なのだから。

 けれど、そこで待てる彼を発見できたのが、とてもとても嬉しい。
 ダイヤが1分かそこらずれることよりも、
 それを待てる時間はとても大切で貴重なものだと思うから。

 本当に大事なものが何かを知っている人のような気がする。
 彼の笑顔を見てから、私は妙にご機嫌だ。

 老婦人はきっと、そんな風にされていたことに気づかないだろうし、
 運転手さんも言わないと思う。
 だからいっそう私は言いたくて仕方ない。

 今日、とても気持ちがいい人を見た。