終電間際に取りとめもなく

 夜、終電間際の道をだかだかと靴音も高く走っている。
 走りすぎながら、
 金木犀の香りがするとか、土の甘い匂いが強くなったとか思う。
 私が走っていく道も、そのうち橙色のカーペットが地面に敷かれる。
 
 散りやすい木犀の花も今はまだ咲き初め。
 花が地面を覆うにはまだ早い。

 華やかなその光景がとても好きだから、
 その時が早く来ればいいと、木犀にとってはひどいことを思う。

 幼い頃は、いつも金木犀の木の上にいた。
 花の季節は
 空が真っ暗になるまで
 金色の雲にのったような心地になる木のてっぺんで
 ゆっくりとゆすられていた。
 ぼんやり、ぼんやりと空の色が染め替えられていくのを見るのが、とても好きだった。

 木犀の香りは、
 私にとっては心地よいものと同類項で括られている。
 だから、「トイレの芳香剤の匂い」と言われると
 なんとも切なくしょんぼりしてしまう。
 とても好い香りだから
 芳香剤に選ばれるのもわかるのだけど、
 昔は芳香剤といったらレモンやラベンダーが主流だったのに・・・

 好きなものに、自分が思うのと違うイメージがついていたりすると、
 ちょっと複雑な思いがする。
 きっと今までレモンが好きだったという人は今の私と同じように思っていたんじゃないかな。
 
 最近頻繁に通るようになった深夜の道。
 不思議に2泊3日分ほどの小さなトランクを持っている人が多い。

 駅の中で小さなトランクを持っている人は、
 旅行の帰りなのかな。
 誰かの所へ泊まりにでも行くのかな。
 いやいや、大切な何かを仕事場に置いていけずに持って帰るのかしら。
 なんてぽけぽけと考える。
  
 最近は終電間際が多いので、
 酔っている人の間をすり抜けていくことも多くなった。
 案外楽しい。
 
 へべれけになって正体を無くしている様な人は論外だけど、
 飲んだことによって、初対面の壁がなくなって何かの繋がりが出来たりする。

 私が一生懸命走っていると、
 酔ったおじちゃん達は、ふらふらしてる自分を置いて、
 「頑張れ!あと少しだ!」とか
 「俺は駄目だ、任せた!」なんて声援を送ってくる。
 なので
 思わずこちらも
 「ありがと〜!」と、深夜の町に声を響かせたりする。
 
 こちらは呑んでいるわけじゃないけれど、
 なるほど、「飲みニケーション」なんて言葉があるわけだ。
 と実感する。


 私が見たところ、寝るか本を読むというのが「終電ルール」。
 夜まで仕事している人は、時間を無駄にしないということなのかな?
 ぼんやりと座っている人は、まずいない。
 夜の電車だと、みんな何かしらやっている。

 私は寝てるか、見渡しているのが多いのですが、
 皆さんは、いかがです?