我が家にも犬がいた

 淡い灰色がかった雲が空を何筋も横切る。
 月が、その向こうから光る。
 雲の無い空で皓々と光るのも好きだけれど、
 段々になった雲の向こうから透かして見るのもとても良い。
 昔の人ならこれを「御簾の向こうの月」と見たのかもしれない。

 夏の暑い盛りには権勢を欲しいままにした百日紅が随分と色褪せてしまっている。
 花のあった所の真ん中から
 緑色のどんぐりのようなまあるい実がとんがった先をこちらにツンと向けてくる。
 近くの駅から覗く栗の木にぶら下がった、青いイガイガはもう7,8cmの大きさにふくらんできた。
 胸いっぱいに息を吸い込むと、喉や鼻が少しひきつるように痛くなる。
 もう夏ではない。
 空気が乾燥しだしているのだ。

 さっき、街灯に照らされた道路で変なものを見つけた。
 長さが15cmそこそこで、直径が大体4cm位の真っ黒なナマコのようなもの。
 道路の真ん中でふにふにと動いていたそれは、一瞬、巨大な毛虫かと思ったけれど
 おそるおそる近づくと、
 小さな小さな子猫だった。
 生まれて数日ほどの真っ黒な子猫。
 まだ足もおぼつかないらしく、
 歩いているのか匍匐前進をしているのか。
 一生懸命動いている。

 親猫は人が来たからいなくなったのかな?
 それとも親の目を盗んで冒険をしているのかな?
 見ていると、よじよじ道の真ん中に動いていく。
 車の通りが少ないと言っても、時折凄い勢いで通って行く車がある。

 子猫の進路を手でふさぎ、
 方向転換させようとした時、
 子猫は突然立って私の手に乗ってきた。
 ふわふわの産毛、乗ってきた小さな重さ、
 まだ柔らかい足の裏の肉球の感触、温かさ・・。
 急にそのまま連れ去りたいという思いに駆られた。
 駆られたけれど・・・道の端に場所を移して置いてきた。

 家では飼えない。
 まして、まだ小さい。
 やんちゃに表に出てきてしまった子猫なら、
 親猫が大慌てで捜しているはず。
 
 手のひらに乗った重みが消えると、やけに淋しくなった。 
 人であれ、動物であれ、なんで体温てこんなに恋しくさせてくれるんだろう?
 なくなると、とても淋しい。
 
 昔、家にも犬がいた。
 スヌーピーのモデルにもなったビーグルでかなりの美犬。
 私が3つ位の時に家に来て、
 高校の入学式が終わって3日で逝ってしまった。
 
 我が家にくる前の飼い主が、
 より小型にしたかったようで
 食事を制限をされた彼女は、ビーグルとしては少し小柄だった。
 (あまり私はそういう操作は好きではないけど、当事者はまるで知らぬ存ぜぬ)
 
 小柄でも、ビーグルはアナグマや兎を捕まえるのに使われた猟犬だ。
 力は強く、穴を掘るのが大好きで、あっという間に庭は穴だらけ。

 あまりのいたずら好きと怪力(?)に、母は鉄の鎖をつけた。
 皮の紐は、あっという間に齧って引きちぎられて消えてしまった。
 
 小さいころの私は、その子が好きで好きで
 (考えてみれば当時の大きさは似たようなものなのだけど)
 近くに寄っては喜んだ彼女に足の周りをぐるぐると走られ・・・・
 彼女の首から下がる鎖に
 足を締められて大泣きをし、倒れたことが何度あったか。

 彼女は何が起こったのかわからず、ぺろぺろとなめて慰めてくれたけれど、
 鉄の鎖をまかれた足は痺れ、痛み、時折彼女のトイレに倒れこんだりもした。
 そんな時は、
 とても、とても切なかった。

 昔の思い出には、いつもどこかで彼女が出てくる。
 彼女がいなくなってもう随分になる。
 だから
 作ってきた思い出の中に彼女がいなくて、とても不思議な気分になる時がある。
  
 ギュッと抱くと、トコトコと聞こえた暖かい鼓動とか、
 網戸にしておくと網戸を破って
 私のベットを占領して気持ち良くお休みになっていたこととか・・・

 晩年は、暖かい日差しの下にクッションを持って行き
 それが温まってから座っていた。
 彼女は日差しが動くたびに
 大慌てでクッションを動かし、あわて過ぎてたまにクッションでつまづいたりしていた。
 暑い時は犬小屋の入り口を風上に向け、寒い時は犬小屋をピタリと家に向けていた。
 それだけ頭がいいくせに、
 お座りが少々、待てが数秒しかできるようにならない。
 そんな犬だった。
 
 それでも冗談ではなく、
 我が家で一番頭がよかったのは彼女だったのじゃないかと今も思う。
 手のひらに乗った子猫の温かさに、今日は彼女のことが思い出されて仕方ない。
 
 雲の向こうにうっすらと光る月は
 もう届かない何かのようだ。