紅い花々、秋の花。

 このあいだ、花屋の店先に吾亦紅(われもこう)をみた。
 水引もあった。
 野の花がどんどん花屋に進出している。
 周りで見られなくなったことも関係しているのかな?

 花屋は本来の季節よりも少し早く花を運んできてくれる
 どちらも、秋のとても好きな花。

 吾亦紅の花は、ちょっと変わっている。
 花らしい花ではなくて、
 「紅い松ぼっくりの若いの」といいたくなるような姿をしている。

 今日見たのは花屋でだったけれど、
 やっぱり草原でそよそよとしているのが一番いい。
 紅い・・・それこそ熟成されたワインのように深い色のまあるい玉が、
 段々と深まり、渋みが加わった草の間に泳いでいるのを見るのは
 赤い玉が意思を持って遊んでいるようでとても可愛い。
 
 花が閉じている時は、
 紫陽花の本当の花(花の中にある直径6〜7mmの小さな花)の蕾が一杯固まる
 ようにしてついている。
 小さな花の集合体がまあるくくっつきあっている。
 折り紙で作ったクス玉とか、ラベンダーの花を少し短くした感じ。
 
 花が開くと開いたで
 咲いた後が、まるで蜂の巣のような幾何学的な模様になるのが楽しい。
 小さい頃はススキの間に吾亦紅が生える所があって、
 金色の穂の間にまあるい飴玉が転がっているようなのを飽きずに眺めていたのを思い出す。

 秋から冬にかけては、面白い植物が一杯あった。
 水引も、オナモミも・・・
 何度、服にくっつけて遊んだかわからない。
 プチプチと水引を折っては
 薄紅色の雫をつけたようなそれをトレーナーに擦り付けたり、
 わざわざ「くっつきやすい」服を着て原っぱに飛び込んだり・・・
 母はさぞかし洗濯に苦労しただろうと思う。
 
 オナモミも、よくつけた。
 ちくちくするから出来るだけ触らずに、
 「洋服に絵を描こう!」と頑張って・・・
 頑張りすぎて体中に小さな引っ掻き傷だらけになったり。
 痛すぎて泣いてしまったり。
 
 ざくろにあけびに栗、柿、みかん・・・
 美味しいものも沢山あった。
 折角手に入れた食べ物も、開けてみたらば虫一杯。
 無言で放って逃げ出した。
 そんなことも数え切れない。
 一体どれだけ食べたか秋の幸。

 異常気象が異常でなくなってきた世の中だけど、
 人工的な音の消えた夜は尚、
 日に日に秋が深まっていくのが五感を通して感じられてくる。
 ベランダからは風鈴が消え、
 地面からは虫たちの声がする。

 本当に地面で響く鈴の音。
 人には出せない透ったまろやかな音がする。
 ふと、「ちりんちりん」という擬音語は、
 もしかしたら元々は「地鈴、地鈴」から来ていたりしてと思えた。

 合っているか、間違っているかは知らないけれど
 更けていく夜の中ではキチリとはまったパズルのように正しいことに感じられて仕方ない。

 
 今年の花はまだまだだけど
 大きな存在感を持つ割に、
 脆くて儚い曼珠沙華の朱に秋への思いを寄せて。