人も、雫も、それぞれ、それぞれ。

 グルックルーグルックルーと
 鳩の少しこごもった声で目が覚めた。
 我が家の小さな小さな庭に朝食にいらしたようだ。

 どどどう、と強い風が音を立てて空を吹き抜けていく。
 まるで海の側に住んでるみたいだ。
 窓を開くとカーテンが私の身長以上に膨れ上がった。

 思ったよりも暖かい風に、
 台風って熱帯性低気圧の大きいののことだったな熱帯の風?と寝ぼけた頭で考える。
 (勿論、風が暖かいのとは多分関係はない。
 熱帯性というのは台風の揺りかごが海面の水温が26度だか28度だかの所だというだけ)

 まるで5月の頃のように
 強く渡っていく風に誘われて外へ出る。
 歩いているとグイグイと風に背を押され、お腹を押され、ばさばさと髪を乱される。
 まだ随分と早い時間なのに、お庭の木をのこぎりでギコギコと切っているおじいちゃまがいた。
 昨日の内に折れてしまったらしい。
 変に腐らないように切るのだという。
 
 歩いていくと、電線が切れてしまっていた。
 電線で区切られない空はいつもより大きい。
 
 地面はまだ雨で濡れ、
 木々の梢や葉には白く光る雫が舞っている。
 
 普段何気なく見ている雫だけれど、
 よくよく見ると植物の種類によって散り方にも特徴がある。
 葉脈の上に雫が集まっているようなものがあるかと思えば、
 みんな葉先にぶら下がっているようなものもある。

 様々な種類の木々があるのだから、
 葉の形はとりどり。
 雫の散り方もそれぞれ。
  
 葉の上に細かい毛が生えているもの、
 つやつやとワックスを塗ったようなもの、
 真ん中が少しくぼんだもの・・・・。

 違うものがいるのだから、同じことを経験しても違うような結果になる。
 なんだかそんな当然のことが妙に不思議で嬉しい。

 人の幸せ・不幸せもなんだか同じような気がする。
 同じことが降りかかっても、人によって受け取り方は違う。
 転んだとしても、たいしたことが無いと思う人もいれば、
 転んだことが、ひどく大変なことだと悩むひともいる。
 
 それぞれが、いいか悪いかはわからない。
 ささやかなことで悩む人は、ささやかなことで喜べる力があると思う。
 10年後、20年後の先を考えて、普段の生活ではさほど悩まないという人は、
 もっと長いスパンでの喜びや苦しみがあると思う。
 
 喜びや悩みの大きさも人によって違う。
 外からその大きさはわからない。

 傍から「たいしたことが無い」と言われるようなことで苦悩して亡くなる方もいれば、
 他の人に「最悪な状態」といわれるような状態でも、「ちょっと大変だけどまあ大丈夫」と
 妙に楽観的で飄々としている人もいる。

 同じことを経験しても、それから受け取るものはそれぞれ。
 主観と客観は絶対に違うもので、
 自分の主観と相手の主観は似ていても違うもの。
 
 当然のことなのに、
 自分がこうだからあの人もそうだ・・・とうっかりイメージを投影してしまってはいないかな?
 自分が好きな人は、うっかり同じことを感じていると思ってしまうときがあったりする。
 違うからこそ友達なのに・・・。
 別に何があったってわけではないけれど、
 それぞれ違う散り方をする雫になんとなく反省させられた。

 夕方、電線が切れていた道を戻った。
 風はまだ強かったけれど、電線はまるでなにごとも無かったように夜空を区切っていた。
 
 台風の被害を受けた方の被害が、早く少しでも軽くなりますように・・・。