今日の雷。平安の雷 。

 雷が遠くなった。
 雨足が弱くなった。
 そして、次の雨垂れの落ちるまでが長くなった。

 さっきまで、パソコンを開くのも怖いほどの稲光が周り中を照らしていた。

 はっきり言って、雨の日は好きだ。
 和太鼓のような雷の音も、華やかに散る稲妻も好きだ。
 でも、
 土砂災害が起こるほどになると、喜んではいられなくなる。

 今日は
 私の住んでいるあたりでも1時間に100mm以上の雨が降った。
 雨足が強く、水煙で地面が真っ白く染まり、
 風にそって稲光に照らされた雨のカーテンが揺れた。
 空が光るたび、世界中を白く焼ききるような閃光が走り、
 あまりの白さに目が痛くなった。
 雨の降り始めはさほどでもなく、窓を開け、外を眺めながら電話をしていたのだけれど
 しばらくすると
 あまりの雷の音に友人の声が聞き取れなくなった。
 
 まるで大きな和太鼓の中にいるような轟音に、思わず窓を閉めた。
 目がずきずきと痛んで、カーテンも閉めた。
 窓を閉めても凄まじい響きは止まず、音だけでビリビリと家が震えた。
 光は遮光カーテンの向こうからもうっすらと見えるほど明るく、
 カーテンの裾から凄まじい勢いで室内に入り込んできた。
 
 最近の台風は、やけにエネルギー過多な気がする。
 確かに、私は嵐の日が好きだ。
 けれど、このところ嫌にストレスを溜めているような嵐が多い。
 嵐ってこんなに派手派手しく光を振りまいただろうか?
 ニュースで落雷と聞くことも多くなった。
 昔からこんなに落雷事故が多かっただろうか? 
 雷様はこんなにうるさく暴れていただろうか?

 一説によると日本も熱帯性の気候に近づいているからだという。
 「地球の温暖化」がネックなのだそうだ。
 
 そうしたことを聞いていると人間による温暖化ではなく
 「元々、地球には大きな気候の変化の波というのがあって、
 縄文時代の平均気温は今より2度ほど高く、
 (恐竜達のいた時代は10度ほど高く、南極は緑の大陸だった)
 江戸時代は今よりも2度ほど低かったのだったな」なんて思い出されることがある。

 恐竜達の時代は置くにしても、
 何千年か毎に地球は暑くなり、寒くなりを繰り返してきた。
 今までわかっているだけで4度の氷河期が地球にあったそう。

 江戸時代もその1つ。
 正直、冬でもせんべい布団(ぺらぺらの薄いお布団)1枚だった江戸の人達の体は、
 なんて頑強だったのだろうとつくづく思う。
 
 日本人の体型変化というので、
 鎌倉時代の鎧と、室町時代の鎧と、江戸の戸口の高さで考えられている身長が
 それぞれ異なっていると聞いたことがある。
 気温の下がり方を追いかけるように段々と低くなっているのだ。
 
 だから
 鎌倉時代の鎧は、室町の人には大きすぎて着られない。
 江戸の戸口は、室町の人には低すぎて入りづらい。
 ということになる。

 更に、
 氷河期を越すということは、食糧事情が悪くなるということでもある。
 穀物の実りもとても悪くなっていたと思う。
 そう思うと、江戸時代の日本で野菜の品種改良が非常に盛んだったのは、
 その状態の打破を狙ったものでもあったのかしら?なんてことも思えてしまう。

 ともかく、だから今までの日本人の中で一番身長が低いのは江戸の終わりから明治初頭の人たち。
 地球的な規模での話だから、
 当時日本に来た外国の方の写真を見ても、身長が170を超す人は殆んどいない。
 
 江戸が終わって、食糧事情がよくなっただけでは現在の日本人の身長増加は語れないのよね。
 なんて偉そうに考えたりする。

 もちろん、押し上げているのは自然な地球的規模での温暖化だけではない。
 今の日本人は、一番背が高かった縄文時代まであと少しのところまで来ているらしい。

 あれ?話がずれてしまった。
 そうそう、最近雷が落ちるのが嫌に多いという話。

 実は、この「嫌に多い落雷事故」というので思い起こされることがあったのだ。
 歴史で習った話。
 日本で雷様と言えば・・・天神様。
 そう、菅原道真
 
 平安時代は温暖期。
 残念ながらその頃の気温がどのくらいだったのかは私にはわからないのだけど、
 「不条理に殺された菅原道真の怒りが疫病とともに多くの落雷を呼んだのでは」
 ・・・と大宰府が作られたのが平安時代だ。

 環境破壊により地球の本来の流れではない急激な温暖化が進んだ今と
 同じような気候だったのではないかな。
 そんな風に思えるほどの嵐だったな。
 雷が去ってもう2〜3時間にはなるのに
 まだじんわりと痺れる耳でそんなことを想う。

 ふと気がついたらブログを始めて、ふた月目になっていた。