夢の中では・・・

 昨日からベランダの風鈴が鳴らない。
 リンリンといつもうるさいぐらいだったのに。
 凪いでいるのではなくて、
 昨日の昼下がりの夕立で
 風鈴の尻尾が硝子の傘を叩く部分と一緒にどこかへ消えてしまったから。

 尻尾も音もなく
 ふらふらと揺れる風鈴は存在感までなんだかふわふわしている。
 夕べの雨の雫が、硝子に描かれた朝顔の上を
 ツウと落ちていった。
 一滴の重さでも、硝子の傘はぐらぐらと揺れる。

 手製の尻尾やビー玉もどきのビーズをつけるのは簡単だけど、
 やわやわとした雰囲気が捨てがたく、
 なんとなくそのままにしてじっと見ている。
 
 その不安定さはなんだか夢と似ている。

 今日は、
 昨日見た夢をあまり覚えていない。
 最近、ブログが重くてくたびれるから、
 起きても覚えていられる体力がなくなってるんじゃないかって
 少し思う。
 頭の中で飛び交う夢の片鱗はぼんやりとしていて、捕まえたと思うとすぐに消えてしまう。

 人の頭の中は覗けない。
 自分さえもよくわからない夢だから、
 友人と時折「どんな夢をみたか」と話をする。
 聞き合って、なんとなくお互いをもっと知ったような気になる。
 
 どんな色か、音はあるか、臭いは・・・
 様々な質問を交わすうち、
 私の夢はちょっと特殊とされてしまうことが多い。
 別に五感がないわけではない。
 
 私、夢の中では自分でないことが多いのだ。
 
 もちろん自分が主人公という夢はある。
 映画を見ていてのめりこんでいる時と似た様な状態になる夢もある。
 自分でないというのは、
 別人の中に自分がいるとか脇から見ているというレベルではなくて、
 感覚からなにから「全て自分ではない」ということ。
 他のものの感覚や考え方に染まってるって言えばいいのかしら。

 例えば、
 猫になっている時。

 毛づくろいをしていると、舌の突起が毛を梳くのが気持ちいい。
 肉や魚の臭いが、人として感じたことのあるにおいに思えない。
 もっと、ずっと甘い匂いがする。
 先が割れている鼻をぴくぴくとさせる時の、あの感覚。
 毛先を流れる風の意味。
 ひげで捕らえる世界はなんだかとても不思議。
 人が横を通っても、何故だか「それ」=人だと思えない。
 そもそも猫だというのが起きる時まで自覚がない。
 猫から人に戻ると色んなものが鈍くなっていて、少し寂しい。
 
 泡になっている時もある。
 泡の私はポカッと生まれてポカっと消える。
 ただそれだけをずっと繰り返している。
 水の中にいて、泡の私は水の中を回りながら上っていくのを知っているのに、
 泡の私は上っていることも、回っていることも感覚がちがうし
 なにかを考えているようには思えない。
 後から思うとそうだったんじゃないかと思うだけ。
 ただ連綿と生まれて消える。
 それだけなのに、
 起きた時は嫌になるくらいそれが気持ちよかったような記憶が残っている。
 私は泡じゃない。
 人である私は、夢の中での気持ちよさがまるでわかる気がしない。
 それなのに記憶だけがのこっている。

 そんな風に夢をみる。
 鍋だったり、石だったり
 また別の何かだったり。
 そういう夢を見ている時は、考えることまで人でないから
 起きたときに何の夢だかわからないことも多い。
 起きてから、ああでこうだから多分これだ!となる。
 
 夢ってさっぱりわからない。
 私の夢は、自分主人公・他人主人公寄り添い形、
 そしてこの別体験が基本のパターン。
 これに続き物なんておまけが付いたりもする。

 何十億という人がいて、その何倍も夢のパターンがある。
 色んな夢があって、感じ方がある。
 
 友人達に違うと言われるほど、
 他の人の夢は一体どんな具合だろうと
 私はいつも気になってしまう。