優等生とスズメバチ

 どこかのお家の塀の上から 真っ白な百日紅の花が零れて来る。
 アスファルトの上にふわふわとした真夏の雪が溢れている。
 夏の真っ青な空を後ろに見る白は、
 なんだか違う季節のものが咲いているようで少し眩しい。
 
 道端に落ちた花を拾いたくて近づくと、
 何匹かの蜂が忙しそうに花の周りを巡っていた。
 頭上の枝先にもブーン、ズーン、プーと、
 羽音も賑やかに蜂達が遊んでいた。
 
 昔から
 大人しいミツバチやクマバチが花粉だらけで出てきたところを
 そっと指先で撫でるのが好きだ。
 ふわふわの毛の先を触るか触らないかでそっと。
 向こうもこちらに触られたとは思わず、すぐに又花に潜り込んだりする。
 気づいても、こちらがわかっているのかいないのかキョトンとしている。
 
 針を持っていないキバチは時々手で捕まえた。
 手の中からブンブブンブブンと伝わる振動と、
 キバチの好きな花の香りが手に残るのがなんだか無性に好きだった。
 
 スズメバチなんかは危ないし、見掛けも嫌いだった。
 足長バチも、「自転車に乗っていたら正面からぶつかって刺された」と
 兄が泣いて帰ってきてからはあまり近づきたいと思わない。
 
 もしかしたら危険性の無いふわふわとした蜂がすきなのかもしれない。
 大きすぎたり、つるつるしたりはあまり好きじゃない。
 蜂に擬態している蛾も、ふわふわしているけれど惹かれない。
 
 高校時代、スズメバチの群に襲われたことがある。
 ちょうど今頃、体育祭の準備をしていた頃。
 
 私の行っていた高校は自然だけはやけに豊富で校内に山が3つもあった。
 さらに、校内なのにグラウンドまで走って10分近く掛かった。
 高校なのに休み時間がそれぞれ15分もあったのは移動に時間が掛かるせいだと思う。
 学年は400人近くいて、あの日は体育祭練習のため皆でぞろぞろとグラウンドに移動していた。

 400人の列は長く、情報の伝達は遅い。
 400人もいれば移動の間に騒ぐ人もふざける人も多い。
 ひどいはしゃぎ方はしないけれど、移動が10分もあるのだから高校生が喋らないわけもない。
 
 着替え終わった人から順に行く三々五々式のため、
 前のほうを歩く人たちが何で散らばったのか後ろで夢中に喋っていた私達にはわからなかった。

 突然、周りの空気が変わった。
 先生が体育館の前で倒れている。
 荷物を振り回している人がいる・・・蜂だ!

 グラウンド近くのつつじの茂みの中から、オオスズメバチが襲ってきた。
 「走るな!動くな!動くと刺されるぞ!」
 「黒いところが狙われるから目を隠せ!」
 先生達の声が、逃げ惑う私達の間に響く。
 
 「逃げるなっていったって・・・逃げるよ・・・」
 胸の中で先生達に突っ込みながら、二人の友人を振り返って逃げようとした時だ。
 友達の頭にスズメバチがとまった。
 私ともう1人が目を見交わして、
 「頭の上・・・・走って逃げよ。いま追っ払ってあげるから」
  着替えの袋で追い払おうとすると、蜂に止まられた友人は言った。
 「動かなければ刺さないって先生言ったし、少ししたら飛んでいくよ」
 友人は優等生だった。先生の言うことをいつもしっかりと聞いていた。
 「でも・・・」と言いながら、私も動けなかった。
 友達の頭から追い払いたくても、それで刺激して友人は刺されるかもしれない。
 自分に向かってくるかもしれない。
 今、他のスズメバチが襲ってきてもおかしくない場所にいるのだ。
 
 私と、もう1人の友人は彼女を置いていくわけにも行かず、
 後ろで刺される人が続出する中、友達にとまった蜂を凝視した。

 蜂は彼女のふわふわにカールした髪の上を、何か調べごとでもするようにゆっくりと移動した。
 左の耳の上から頭頂部、前髪・・・
 蜂の羽は茶色で薄く、
 どぎついオレンジと黒の縞を持った腰はきゅっとくびれていた。
 「この調子なら飛んで行ってくれるかも」そう思ったその時。
 あ!と思った時はもう遅かった。
 蜂は彼女の左の眉の上辺りに長い針を差し込んだ。
 ツーと、音でもしそうな位スッと。そしてもう一度。
 同時に彼女の目から涙が流れた。
 めったに泣かない彼女が・・・。
 
 堪らなくなって手にした袋で蜂を叩き落すと、
 友人二人の手を引いて全速力で走って逃げた。
 幸い蜂は追いかけてこなかった。

 ぼろぼろと泣く彼女を
 私達は「頑張った」と励ましながら保健室へと走った。
 振り返ると蜂アレルギーの先生が倒れ、救急車に担架で運ばれていくのが見えた。
 
 スズメバチの巣に近づいた時のカチカチという警戒音にだれも気づかず。
 しかも、
 ふざけあった男の子達が巣のある茂みに少し足を踏み入れたのが襲われる原因となった  ようだ。
 スズメバチのニュースを見ると、いつも彼女の涙を思い出す。
 先生の言うことなんか聞かずに必死で追い払っていたら刺されなかったかしら?って。
 (生態を調べれば、先生の言葉が正しいことはわかる。
  それなのに刺されたのだから蜂はよほど気が立っていたのだろう)

 最近、スズメバチの巣は巨大化の傾向があるらしい。
 うかつに寄れば刺されて、死に至る人もいる。
 もしどこかを歩いていて、カチカチって石を叩くような音がしたら・・・
 警戒音の間はまだ安全。
 相手を刺激しないようにさっさと逃げるようにしてください。

 彼女のようなあんな涙はもう出来るだけ見たくない。

 スズメバチに這われる間、どんなに彼女は怖かっただろう。
 あの時、あれが対処として本当に一番だったのか?
 先生の言葉を必死で守って彼女は刺された。
 もちろん、先生の言ったことは正しい。
 でも優等生じゃない私は、やっぱり走って逃げていたほうが・・・
 ・・・ううん、刺激しないようにゆっくり素早く後ろ向きで逃げるのが良かったのでは?
 と、ニュースの度に思い出されます。








  スズメバチ:友人が刺されたオオスズメバチは土の中に巣をつくるが、
        木の上に作るものもいる。
        スズメバチは肉食なので、生ゴミを餌として生きることも出来るので、
        都会でも注意が必要です。
        カチカチという音がして何匹かスズメバチがいたら、
        確実に巣があります。
        手を振り回したりすると攻撃と勘違いされます。穏便に逃げましょう!
        香水や整髪料・・・甘くっていい臭いのもの人気ですよね。
        あれ、蜂を結構刺激します。少なくとも自然の中では却下です。
        あと黒いものを重点的に狙ってくるので、
        髪染めていればまだしも日本人はとっても危険です。
        基本的に動物の目は黒いので一撃必殺と急所を狙うんでしょう。
        蜂毒はけっこう強くて、刺されると体内に入った毒に抗体が
        過激に反応してアナフィラキシーショックというのを
        起こすことがあります。
        1度目でならなかった人も、2度目に刺されると体内に抗体が
        確実に出来ているので危険です。
        ショックが大きいと呼吸困難を起こしたり、
        心臓麻痺を起こす方もいるようです。
        刺されたら即刻水でもなんでも掛けて毒をなくし、冷やし、
        急いで病院へ行ってください。蜂の毒は強いため、反応も劇的なのです。